そんなこととは知らないフェストは、パウロはカイザリヤに拘留中だし、自分もすぐ戻るので、
一方、パウロのことは、また監禁するよう命じましたが、看守には、丁重に取り扱い、友人たちの面会や差し入れも自由にさせるように言いました。
こんなふうにして二年が過ぎ、ペリクスに替わってポルキオ・フェストが総督となりました。しかし、ペリクスはユダヤ人のきげんを損ねたくなかったので、パウロを捕らえたままにしておきました。
新総督としてカイザリヤに着いて三日後に、フェストはエルサレムへ来ました。
数日後、新総督を表敬するため、ヘロデ・アグリッパ(二世)王がベルニケと共にフェストを訪問しました。
もちろん私は、ローマの法律では、裁判もせずに人を有罪にはできないと答えました。それでこの男に、訴える者たちの前で釈明する機会を与えることにしたのです。
パウロを告発したければ、それ相応の人が自分と同行し、向こうで裁判にかけてはどうかと提案しました。
八日か十日の後、フェストはカイザリヤに帰り、翌日パウロの裁判が開かれました。
一方、ピリポはアゾトの町に姿を現し、そこから町々で福音を伝えながら、カイザリヤに向かいました。