翌日には、もうカイザリヤに着き、そこでは、最初の七人の執事の一人であった、伝道者ピリポの家に泊まりました。
カイザリヤに、コルネリオというローマ軍の士官がいました。イタリヤ連隊に所属する隊長の一人でした。
事は決まりました。直ちにマケドニヤに向かうことになったのです。神様がそこへパウロと私たちを遣わし、福音を伝えようとしておられるのはまちがいありません。
安息日に、私たちは郊外に出て、人々が祈りに来ると思われる川岸に行きました。やがて数人の婦人が集まってきたので、聖書のことばを教えました。
ある日、川岸の祈り場に行く途中、私たちは悪霊につかれた、若い女奴隷の占い師に出会いました。彼女の占いのおかげで、主人たちは甘い汁をいっぱい吸っていたのです。
やがて、船はカイザリヤに着き、上陸したパウロはまずエルサレムの教会を訪問し、みなにあいさつしてから、アンテオケに向かいました。
パウロは陸路でアソスに向かうつもりだったので、私たちは船で先に出発しました。
過越の祭りが終わるとすぐ、私たちはマケドニヤのピリピから船出し、五日後にはトロアスに着いて、一週間そこで過ごしました。
カイザリヤのクリスチャンも幾人か同行し、エルサレムに着くとすぐ、古くからの仲間の一人、キプロス島出身のマナソンの家へ案内してくれました。そこに泊めてもらうことになっていたからです。
それからすぐ彼は、士官を二人呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるよう準備せよ。兵士は二百名だ。それと槍兵二百名、騎兵七十名も同行させよ。パウロを馬に乗せ、総督ペリクス閣下のもとへ無事に送り届けるのだ」と命じました。
ようやく船でローマに向かう手はずが整い、数人の囚人といっしょに、パウロはユリアスという親衛隊の士官に引き渡されました。
難破してから三か月後、今度は、この島で越冬していた、アレキサンドリヤの「ふたごの兄弟号」という船に乗り込むことになりました。
ローマに着くと、パウロは、兵士の監視のもとではありましたが、好きな所に住んでもよいことになりました。
全員がこの提案に賛成し、次の人たちを選びました。ステパノ〔聖霊に満たされた信仰深い人物〕、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケのニコラオ〔ユダヤ教に改宗していた外国人で、クリスチャンになった人物〕。
それと知った信者たちは、パウロを故郷のタルソへ帰そうということになり、カイザリヤまで同行して見送りました。
さてこうして、ある者には使徒としての賜物が与えられ、ある者にはすぐれた説教者としての賜物が与えられました。また、キリストを救い主として信じるように人々を指導する賜物を受けた者もいれば、羊を見守る羊飼いのように、神の民となった人たちの世話をし、教え導く力を受けた者もいます。
ですから、危機感をもって目を覚まし、警戒していなさい。主のために受ける苦しみを、恐れてはいけません。なすべきことを十分になして、他の人たちをキリストへ導きなさい。