ここには、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポント、アジヤ、
セムの子孫は次のとおりです。エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。
折りも折り、この地方に戦争が起こりました。 シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの同盟軍が、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、のちにツォアルと呼ばれたベラの王の連合軍と戦ったのです。
さっそく、旅行の準備にかからなければなりません。まず、らくだを十頭選びました。また、贈り物として最上の物を幾つかより分けました。それを全部らくだに積み終えると、一行はナホル(アブラハムの兄弟)の住むアラム・ナハライム地方(現在のイラクの一地域)へ向かったのです。
ホセア王の第九年、ついにサマリヤは陥落し、イスラエルの民はアッシリヤに捕らえ移され、ハラフの町、ゴザンのハボル川のほとり、メディヤ人の町々に住まわせられたのです。
ハヌン王は自分が判断を誤ったことに気づくと、銀一千タラントをかけて、メソポタミヤ、アラム・マアカ、ツォバから歩兵、戦車、騎兵を雇いました。
その結果、メディヤ州のアフメタ城内で記録が発見されました。それには、こう記されていたのです。
その時になって、主は、 生き残ったご自分の民を呼び戻します。 これは二度目の帰郷で、彼らはアッシリヤ、 エジプト、エチオピヤ、エラム、バビロン、 ハマテ、および遠く離れた島国から イスラエルへ帰って来るのです。
主は幻の中で、将来起こる恐ろしい出来事を 私に示しました。 見ると、エラム人とメディヤ人(どちらも、バビロンの東、ティグリス川の東側に住む民)が包囲網に加わり、 あなたがたは略奪され、破壊されています。 バビロンは陥落し、 今までバビロンの仕打ちに泣いていた 国々のうめきは、二度と聞かれなくなります。
『パルシン』は、分割されたという意味で、王の国が分割されて、メディヤとペルシヤに与えられるということです。」
その夢では、私はエラム州の首都シュシャンにいました。夢の中の私をよく見ると、私はウライ川のほとりに立っていました。
あなたが見た雄羊の二本の角は、メディヤとペルシヤの王のことだ。
一行は聖霊によってアジヤ州(小アジヤの西部沿岸地方)へ行くことを止められたので、一行はフルギヤとガラテヤ地方を通ることにしました。
そこで、ポント生まれのアクラというユダヤ人と知り合いになりました。この人は妻プリスキラと連れ立って、最近イタリヤから来たばかりでした。彼らは、クラウデオ帝がローマ在住の全ユダヤ人の追放令を出したため、イタリヤから追い出されたのです。アクラもパウロと同じ天幕作りの職人だったので、パウロはその家に同居して、いっしょに仕事を始めました。
これが二年間も続いたので、アジヤ州に住む人たちは、ユダヤ人だろうが外国人だろうが、主の教えを聞かない人はほとんどいないほどでした。
もちろん、商売が圧迫されるとか、もうけが減るとかいったことだけを言うつもりはありません。私が声を大にして言いたいことは、このままでは、偉大な女神アルテミス様の神殿のご威光が薄れ、この地方は言うにおよばず、世界中の人たちが礼拝してきた、すばらしい女神アルテミス様が忘れられてしまうということです。」
パウロの友人であるこの地方のローマの役人たちも使いの者をよこし、危険だから中に入らないようにと言ってきました。
私たちの国のことばですらすら話している。
パウロは、できれば五旬節の祭りまでにはエルサレムへ行こうと先を急いでいたので、エペソには立ち寄らないつもりでした。
集まった長老たちに、パウロは語りました。「私が小アジヤに足を踏み入れて以来、どんなふうに生きてきたかは、よくご存じですね。
数人の人が、小アジヤまで同行することになっていました。プロの息子でベレヤ出身のソパテロ、テサロニケから来たアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、それにテモテです。またテキコとトロピモは、故郷の町に帰るところでした。
その七日間が終わろうとしていた時、小アジヤから来た数人のユダヤ人が、宮の中でパウロを見つけたのです。彼らは群衆をそそのかして襲いかかり、
私を訴える人たちは、私が神殿で感謝のささげ物をしているのを見たのです。私は規則どおり頭を丸めておりましたし、別に、回りに人だかりがあったわけでも、騒ぎがあったわけでもありません。ただ、アジヤ州から来たユダヤ人が数人いただけです。
私たちが乗り込んだ船は、トルコ沿岸の幾つかの港に寄港して、ギリシヤに向かうことになっていました。テサロニケ出身のギリシヤ人アリスタルコも同行したことを、書き添えておきましょう。
ところがある日、「自由民」〔リベルテン〕といわれるユダヤ人たちが、ステパノに議論をふっかけました。するとたちまち、クレネやエジプトのアレキサンドリヤ、少アジヤのキリキヤ地方やアジヤ地方から来たユダヤ人たちも仲間に加わり、ステパノと論戦しました。
ステパノは、答弁を始めました。「お聞きください、皆さん。先祖アブラハムがまだメソポタミヤに住んでいたころ、栄光に輝く神様が彼に現れました。
また、礼拝のために二人の家の教会に集まっている人々にも、よろしく伝えてください。私の親しい友であるエパネトによろしく。この人は、アジヤで真っ先にクリスチャンになった人です。
アジヤの諸教会から、くれぐれもよろしくとのことです。アクラとプリスカ、また礼拝のためにその家に集まっている人々が、心からよろしくと言っています。
愛する皆さん。私たちがアジヤで味わった苦しみについて、ぜひ知っていただきたいと思います。私たちは非常に激しい迫害を受け、打ちのめされて、もうこれ以上生き延びるのはむりかと思いました。
彼らは、あなたがたがエジプトを出て来た時、食べ物も水もくれなかったからです。歓迎しないばかりか、わざわざメソポタミヤのペトルからベオルの息子バラムを雇い、あなたをのろわせようとさえしました。
あなたも知っているとおり、アジヤから来たクリスチャンは、みな私を捨てて行きました。フゲロとヘルモゲネさえ離れて行ったのです。
イエス・キリストの使徒ペテロから、エルサレムを追われて、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤの各地方に散らされたユダヤ人クリスチャンの皆さんへ。
こう語りかけました。「わたしは初めであり、終わりである。これからあなたの目に映ることを書き記し、アジヤにあるエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤの七つの教会に送りなさい。」
ヨハネから、アジヤ州にある七つの教会の、愛する皆さんへ。今も昔も存在し、やがて来られる神から、またその王座の前におられる七つの霊から、
それで、主の怒りが燃え上がりました。イスラエルはメソポタミヤの王クシャン・リシュアタイムに征服され、八年間その支配に服することになったのです。