また人は、この方の必要を満たすこともできません。第一、この方には、必要なものなど何もありません。かえって、すべての人にいのちを与え、必要なものは何でも、十分に与えてくださるのです。
やがて、主なる神が人を造る時がきました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。
すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、 共に神の御手のうちにあるからだ。
「人は少しでも神の役に立つことがあるのだろうか。 最高の知恵者でさえ、自分の役に立つだけだ。
生きている限り、神が下さる息のある間は、
神の御霊が私を造り、 全能者の息が私にいのちを与えるからだ。
神がご自分の御霊を取り去ったら、
「あなたは私の主です。 あなたのもと以外に助かる場所はありません。」 私は主に、そう申し上げました。
天を造ってそれを引き伸ばし、 地と地上のすべてのものを造り、 すべての人間にいのちと霊とを授けた、神である主が、 ご自分のしもべであるメシヤ(救い主)に、 こう語ります。
いつまでもあなたと戦い、 怒りをぶつけるわけではない。 そんなことをしていたら、 わたしが造った全人類は死に絶えてしまう。
王は、自分の造り主である全能の神を指して、絶対にエレミヤに手をかけたり、いのちをねらう者に引き渡したりしないと誓いました。
天を張り、地の基を据え、人間の中に霊を造った主は、イスラエルの運命を次のように語ります。
しかし、モーセとアロンは主の前にひれ伏して願いました。「ああ、神様。世界にただおひとりの神様。たった一人の罪のために、すべての人を罰するのですか。」
「すべての人間の心を支配なさる神、主よ。死ぬ前にお願いがあります。私が死んだら、だれが民を指導するのでしょう。
それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。
さらにこう続けました。「聖書に、『わたしが喜ぶのは、いけにえやささげ物ではなく、あなたがたがあわれみ深くなることである』(ホセア6・6)とあります。このほんとうの意味を、もう一度学んできなさい。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」
といっても、神のことが全然わからなかったわけではありません。神を思い起こさせるものは、いつでも私たちの周囲にあったのです。たとえば、雨を降らせてくださったのも神ですし、食べ物が不足しないようにと、収穫を与えて、喜びに満たしてくださったのも神なのです。」
私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。あなたがたの詩人の一人が、『私たちは、神の子孫だ』と言ったとおりです。
また、いったいだれが、主から報いがいただけるほど十分に主にささげましたか。
主はあなたのいのちです。あなたの神、主を愛し、信頼し、ご命令に従いなさい。そうすれば、先祖アブラハム、イサク、ヤコブに約束された地で平安に生きられます。」
テモテよ。富んでいる人には、高慢にならないように、そして、すぐになくなるお金に望みをかけないように教えなさい。また、必要なものをいっさい備えて、私たちの人生を楽しませてくださる生ける神を誇りとし、この方だけを信頼するように忠告しなさい。