バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」
山々から甘いぶどう酒がしたたり、丘には乳が流れる。 水はユダの乾いた川床を満たし、 泉は主の神殿から噴き出て、シティムの谷をうるおす。
私は今、罪を悔い改める者たちに水でバプテスマを授けている。しかし、まもなく私など比べものにもならない、はるかに偉大な方がおいでになる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになり、
神にそむく生活を送っていたことを全面的に認め、それを言い表した人たちに、ヨハネはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。
私はあなたがたに水でバプテスマを授けていますが、その方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」
この疑問を、ヨハネはきっぱり否定しました。「私は水でバプテスマを授けているだけだ。しかし、もうすぐ私よりはるかに権威ある方が来られる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになる。
ヨハネは答えました。「私はただ、水でバプテスマを授けているだけです。しかし、ここにいる人々の中には、あなたがたのまだ知らない方がおられます。
最初、私もこの方がキリストであるとはわかりませんでした。しかし、私がここで水のバプテスマを授けているのは、まさにこの方を、イスラエルの人々に紹介するためだったのです。」
それまでは私も、この方がキリストだとはわかりませんでした。しかし、バプテスマを授けさせるために私を遣わす時、神がこう言われたのです。『もし、聖霊がだれかに下り、その上にとどまるのを見たら、その方こそ、あなたの捜し求めている方、聖霊のバプテスマをお授けになる方である。』
ペテロに同行して来たユダヤ人のクリスチャンたちは、外国人にも聖霊の賜物が与えられたので驚きました。
これを聞いたパウロは、ヨハネのバプテスマは、罪を離れて神に立ち返る決意を表すものだから、それを受けた者が、ヨハネの証言どおり、あとから来られたイエスを信じるのは当然のことだと説明しました。
私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。
神は、私たちの罪のよごれを洗い落とし、心に聖霊を遣わして、新しい喜びで満たし、以前の悲惨な生活から救い出してくださいました。それは、私たちに救われる資格があったからではなく、ただ、神のあわれみによるのです。