人の世の出来事を見てきた私に、もう一つ深く印象に残っていることがあります。
女はさっそく、賢明にも、この考えどおり住民を動かしました。人々はシェバの首をはね、ヨアブのところに投げ落としたのです。ヨアブはラッパを吹き鳴らして兵を呼び戻し、エルサレムの王のもとへ引き揚げました。
至るところに、悲しい不幸が見られます。ある人は神から巨万の富と名誉を与えられ、欲しいものは何でも手に入る身分でありながら、人生を楽しむだけの健康に恵まれていません。そのため早死にして、全財産を他人の手に渡すことになってしまいます。これは実に悲しむべきことで、やりきれない思いがします。
私は、このむなしい人生のすべてを見てきました。正しい人が若死にし、悪人がたいそう長生きすることもあるのです。だから、正しすぎたり、知恵がありすぎたりして、自滅してはいけません。かといって、悪人になりすぎるのも、愚か者になるのも考えものです。自分の時が来る前に死んではいけません。
知恵ある者は、町の十人の有力者の力を合わせたより力があります。
私は知恵を尋ね求めている間に、地上での、休むことのない人の活動を観察してみましたが、すべてのことを見抜くのは神だけでした。自分は何でも知っているとうそぶく、知恵のかたまりのような人でも、実はわずかのことさえ知らないのです。
私は再び今の世を見て、足の速い人が必ずしも競走で勝つとは限らず、強い人が必ずしも戦いに勝つわけでもなく、知恵ある人が貧しい暮らしをし、実力があるのに認められない人がいることを知りました。あらゆることが偶然の組み合わせであり、すべては時と機会とによって決まるのです。
いつ運の悪さに見舞われるかを知っている人はいません。人はみな、網にかかった魚、罠にかかった鳥のようです。
人口の少ない町があり、そこに強い王が大軍を率いて攻めて来て、包囲した時のことです。
しかし、死刑執行の責任者アルヨクが姿を現した時、ダニエルは非常な知恵をもって事態に対処し、こう尋ねました。