Biblia Todo Logo
相互参照
- 広告 -



伝道の書 9:11

リビングバイブル

私は再び今の世を見て、足の速い人が必ずしも競走で勝つとは限らず、強い人が必ずしも戦いに勝つわけでもなく、知恵ある人が貧しい暮らしをし、実力があるのに認められない人がいることを知りました。あらゆることが偶然の組み合わせであり、すべては時と機会とによって決まるのです。

この章を参照 コピー

35 相互参照  

アブシャロムをはじめイスラエル人はみな、「フシャイの意見のほうが、アヒトフェルの考えよりすぐれている」と思いました。実は、これはみな、アブシャロムを痛めつけようという、主の意図によるものでした。実際には、退けられたアヒトフェルの進言のほうが、ずっと上策だったのです。

一方アヒトフェルは、アブシャロムに進言を退けられたことで、すっかり面目を失い、ろばに乗って郷里へ帰ってしまいました。そして身辺の整理をすると、首をくくって自殺し、彼の父の墓に葬られました。

ヤハジエルは大声で語りだしました。「ユダとエルサレムのすべての人々、またヨシャパテ王よ、よく聞きなさい! 主はこう言われます。『恐れてはならない。この大軍を見ておじけてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、わたしの戦いだ。

神が沈黙を守っているからといって、 だれが神を非難できよう。 神は、悪者が支配権をにぎらないようにして、 国を滅亡から救う。 その一方で、いとも簡単に一つの国を葬る。

最強の敵でさえ征服されて死体を横たえ、 一人として手向かって来る者はありません。

「賢い人には、 これらの知恵のことばの深い真理をもっと探究し、 より賢くなり、 人々を指導できるようになってほしい。」 それが彼の願いでした。

そこで、知恵と無知の価値を比較してみることにしました。おそらくだれでも、同じ結論に達するでしょう。

続いて、次のことも知りました。神のすることは一点の非の打ちどころもなく、何一つ付け加えたり、取り除いたりすることはできません。神はこのことを通して、人が全能の神を恐れるようにと願っているのです。

私は心の中で言いました。「やがて、神が人間のしたことを、良いことも悪いことも全部さばく時がくる。」

次に私は、世界中で行われているしいたげと悲しみを見ました。しいたげられている人が涙を流しても、だれも手を貸そうとしません。一方で、しいたげる者たちはしっかりと手を組んでいます。

次に私は、物事を成功させる原動力がねたみであることを知りました。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。

神のすることに目を留め、それに従いなさい。神が決めたことを変えることなどできません。

善人でも悪人でも、信仰がある人もない人も、神をののしる者も神を敬う者も、どんな人も、同じ摂理で動かされています。すべての人に同じ結末が来るとは、なんと不公平でしょう。だからこそ、人は正しく生きようとはせず、常軌を逸した道を選ぶのです。待ちかまえているのは死だけですから、希望などありません。

どんなに足の速い者も、どんな勇士も、 逃げることはできない。 北のユーフラテス川のほとりで、 彼らはつまずき倒れる。

あなたがたは、「われわれは英雄だ。歴戦の勇士だ」とうぬぼれていたころのことを覚えていますか。

主は命じます。 「知恵のある者は、知恵をひけらかしてはいけない。 力のある者は力を、金持ちは富を誇ってはいけない。

神に比べれば、地上の人間はみな無に等しい。 神は、天の御使いたちの中にあっても、 地上に住む人々の中にあっても、 最善とお考えのことを行われる。 それに対して、 「どうして、こんなことをするのですか」と言って、 神に挑戦したり、神を止めたりはできない。

「これは、ゼルバベルへの神のことばだ。『権力によるのでも、能力によるのでもなく、わたしの霊によって』と全能の主が言われる。あなたがたは少数で、弱いが、わたしの霊のゆえにやり遂げることができる。

その時あなたがたは、正しい人と神に逆らう人、 また神に仕える者と仕えない者との 違いを見ることになる。」

そればかりでなく、神のご計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています。

そんなやり方をなさったのにはわけがあります。そこまでしなければ、あなたがたは自分の力で豊かになったと思い込むでしょう。

しかし、豊かにしてくださるのは主です。先祖との約束を果たすためになさったのだということを、いつも自分に言い聞かせなさい。

ダビデは石投げと石一つで、このペリシテ人の大男をしとめたのです。剣を持っていなかったダビデは、走り寄ってゴリヤテの剣を抜き、それでとどめを刺して、首をはねました。ペリシテ人は自分たちの代表戦士がやられてしまったので、しっぽを巻いて逃げ出しました。

もし国境を過ぎてベテ・シェメシュの方へ向かうなら、この大災害を下したのはイスラエルの神だとはっきりするでしょう。しかし、そちらへは行かずに子牛のいる牛小屋へ戻るなら、あれは偶然の出来事で、イスラエルの神とは全く関係ありません。」




私たちに従ってください:

広告


広告