百度も罪を犯して、なお生き長らえている人があるとしても、神を敬っている人のほうが幸せです。
アハブのように悪魔の言いなりになった者は、ほかに一人もいませんでした。妻のイゼベルが王をそそのかして、あらゆる悪事に走らせたからです。
全地よ、主の御前におののけ。 世界はびくとも動じない。
ハレルヤ。 主を信じて従う人は、 言い表せないほどの祝福を受けます。 心から、神のことばのとおりにする人は幸せです。
それに、主を信じてお従いする人は、 だれでも祝福されるのです。
その人へのほうびは、繁栄と幸福です。
一方、神の前に謙遜な人は、 ありとあらゆる祝福を受け、 心地よい平安に身をゆだねるのです。
きよい生活を守ることによって主を礼拝しなさい。 全地は神の前で震えおののきなさい。
神はこの助産婦たちを心にかけてくださったので、イスラエル人はさらに増え続け、強大な民になりました。
悪いことをすれば人にのろわれ、 正しいことをすれば祝福されます。
神を大切にする人は幸せになり、 神のことなど気にもかけない者は めんどうに巻き込まれます。
これが私の最終的な結論です。神を恐れ、その命令に従いなさい。これこそ人間の本分です。
続いて、次のことも知りました。神のすることは一点の非の打ちどころもなく、何一つ付け加えたり、取り除いたりすることはできません。神はこのことを通して、人が全能の神を恐れるようにと願っているのです。
これは言ったように、とても深刻な問題です。どんなに働いても、ざるで水をくむようなものであり、風を追うようなものです。せっかく手に入れたものが、全部なくなってしまうのです。
私は、このむなしい人生のすべてを見てきました。正しい人が若死にし、悪人がたいそう長生きすることもあるのです。だから、正しすぎたり、知恵がありすぎたりして、自滅してはいけません。かといって、悪人になりすぎるのも、愚か者になるのも考えものです。自分の時が来る前に死んではいけません。
任せられた仕事は、どんなことがあっても手放してはいけません。神を敬っているなら、必ず神からの祝福を期待できるのです。
今この時まで、わびた者は、だれもいない。一人として、わたしに立ち返ろうとせず、わたしがおまえたちの先祖に与えたおきてに従おうともしない。』
王として、わたしはまず、右側の人たちに言います。『わたしの父に祝福された人たちよ。さあ、この世の初めから、あなたがたのために用意されていた御国に入りなさい。
そのあわれみは、いつまでも、 神を恐れ敬う者の上にとどまります。
ところが、どうでしょう。あなたは耳を貸そうともしません。強情をはり、罪から離れようとしません。こうして、神の御怒りをどんどん積み上げているのです。神が裁判官として立ち、すべての人を正しくさばかれる、御怒りの日が近づいているのです。
そのように、どう考えても滅びるしかないような人々に対して、怒りと力を示す権利が神にないとでも言うのですか。しかも神は、これまでずっと忍耐してこられたのです。
以上、私の命じることに注意深く従いなさい。主の目にかなうことを行えば、後々まで幸いを得ます。
主が下さる地で子々孫々幸せに暮らしたいなら、今日、私が告げる律法を守りなさい。」
このように、主は敬虔な者たちを誘惑から救い出し、神を恐れない人々には、最後の審判の日まで閉じ込めておかれるのです。