神のすることに目を留め、それに従いなさい。神が決めたことを変えることなどできません。
神がいきなり割り込んでだれかを逮捕し、 法廷を開いたとしたら、だれが制止できよう。
おまけに、神の力ときたらどうだ。 神が壊したものは、二度と建て直せない。 神に追い詰められたら観念するしかない。
神が沈黙を守っているからといって、 だれが神を非難できよう。 神は、悪者が支配権をにぎらないようにして、 国を滅亡から救う。 その一方で、いとも簡単に一つの国を葬る。
ヨブさん、あなたには、神のすばらしい奇跡を じっくり考えてもらいたい。
神が人のいのちを奪うとき、 だれもその手をとどめることはできない。 『何をするのですか』と抗議できる者もいない。
あなたに知恵があるというのなら、 私の言っていることをよく聞いて、 主の恵みを深く思い巡らしなさい。
夜空を仰いで、 あなたが造られた月や星を眺めると、
あらゆることには、ふさわしい時というものがあります。また神は、人間の心に永遠を思う思いを与えました。しかし、人は神の働きの全体を見ることができないのです。
主が取り決めた計画をだれが変更できるでしょう。 いったん動きだした神の御手は、だれも止められません。
永遠から永遠まで、わたしは神である。 わたしが何かをしようと身を起こすとき、 その前に立ちはだかる者はだれもいない。」
あなたがたの豪勢な宴会には心地よい音楽が流れ、 雇った音楽隊も一流のものです。 ところが主のことは頭にありません。
神に比べれば、地上の人間はみな無に等しい。 神は、天の御使いたちの中にあっても、 地上に住む人々の中にあっても、 最善とお考えのことを行われる。 それに対して、 「どうして、こんなことをするのですか」と言って、 神に挑戦したり、神を止めたりはできない。
こんな小さなことさえできない者が、もっと大きなことを心配したところで何になるでしょう。
神はモーセにこう言われました。「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(出エジプト33・19)
「では、なぜ神は人々の不従順をお責めになるのでしょう」と、あなたがたは言いますか。「神のお考えどおりにしたのではありませんか」と。
そればかりでなく、神のご計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています。