貧しい人が金持ちにいじめられ、国中で正義が踏みにじられているのを見ても、別に驚くにあたりません。どの役人にも上役がいて、その上にさらに高官がいるからです。それが国の政治の仕組みなのです。
また、ネゲブにも要塞を築き、水ためを幾つも掘りました。谷にも平地にも、多くの家畜の群れがいたからです。彼は土に親しむ人で、山の中腹やよく肥えた平野に、農園やぶどう畑をたくさん持っていました。
主はこう言われます。 「立ち上がって、虐待された者、貧しい者、 困っている者を守ろう。 わたしの救いを待ちこがれてきた人々を助け出そう。」
主よ、敵を仲間割れさせ、 自らの暴力によって自滅させてください。
神は、天の法廷を開いて、 裁判官たちに判決をお授けになります。
ついには、全地を支配する神が あなたおひとりであることを、 思い知るようにしてください。
主は、どんな神にもまさる偉大な王であられます。
貧しい人からせしめたり、 金持ちにわいろを贈ったりして財産を作っても、 結局は貧しくなります。
わたしは、わたしを愛する人を愛するから、 熱心に探せば必ずわたしを見いだす。
私はそれだけでなく、世界中で正義がすたれて犯罪が増し、法廷さえ金次第になっていることを知りました。
次に私は、世界中で行われているしいたげと悲しみを見ました。しいたげられている人が涙を流しても、だれも手を貸そうとしません。一方で、しいたげる者たちはしっかりと手を組んでいます。
その全体の上に王が立てられています。その王が国のために献身する王なら、どんなにすばらしいことでしょう。そうした人物だけが国を混乱から救えるのです。
知恵ある者も、わいろによって愚かな者になる。 わいろは人の判断力を麻痺させるからだ。
私は、人々が支配したりされたりして互いに傷つけ合っていることを考えてみました。悪者でも葬式をすませ、墓地から帰って来るときには、友人たちは故人のした悪事をすっかり忘れています。それどころか、その男は生前に多くの犯罪を重ねた当の町で、ほめそやされるのです。なんとおかしな話でしょう。
主はアッシリヤ王を用いて目的を果たしたのち、今度は、高ぶるアッシリヤに襲いかかって罰を加えます。
天の軍勢の主は、 「どうしてわたしの民をこんなに 踏みにじったのか」と、彼らを責めます。
その夜、主の使いがアッシリヤ軍の陣営に出て行って、十八万五千人の兵士を打ちました。翌朝、何も知らずに目を覚ました者たちの前には死体が累々と横たわっていました。
このぶどう園というのは神の民のことです。 イスラエルとユダは、神のお気に入りの土地でした。 神はそこが正義の国となるのを期待していたのに、 実際に目にしたのは流血でした。 正しいことが行われるようにと願っていたのに、 実際に耳にしたのは、 しいたげられた人たちの叫びでした。
永遠を住まいとする 高く上げられた聖なるお方が語ります。 「わたしは高くて聖なる所に住んでいるが、 そこには、心のへりくだった謙遜な人が住む。 わたしは謙遜な人を生き返らせ、 悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。
しかし父親は、自分の罪のために死ぬ。
あなたがたの罪が極悪で、 いかに数多いかを知っています。 あなたがたは、良いことすべてに反対しています。 わいろを取り、 貧しい人の益になることは何もしません。
馬は岩の上を走れるでしょうか。 牛は海を耕せるでしょうか。 これは聞くだけ愚かなことだが、 あなたがたのやっていることより 愚かなことはありません。 正義をあざけり、良いこと、正しいことを腐敗させ、 堕落させているではありませんか。
未亡人を家から追い出し、 その子どもたちから神が与えた権利をもぎ取っている。
主は言います。「こんなことは、わずかな生き残りで落胆しているあなたがたにはとても信じられないだろう。だが、このわたしには取るに足りないことだ。
その時、わたしのさばきは速やかに、 確実に行われる。 罪のない人を欺く悪者に、 不品行な者と偽り者に、 雇い人を不当な賃金で虐げる者に、 未亡人や孤児を苦しめる者に、 外国人をだます者に、 わたしを恐れない者に、 わたしはただちに向かう。」 と主は語ります。
彼は非常に偉大な人になり、神の子と呼ばれます。神である主は、その子に先祖ダビデの王座をお与えになります。
「聖霊があなたに下り、神の力があなたをおおうのです。ですから、生まれてくる子どもは聖なる者、神の子と呼ばれます。
幼い息子よ。 おまえは栄光ある神の預言者と呼ばれよう。 おまえがメシヤのために道を備え、
するとたちまち、主の使いがヘロデを打ったので、彼は病気になり、やがて体中にうじがわいて死んでしまいました。神だけにふさわしい賞賛をわがものとし、神に栄光を帰さなかったからです。
ああ、なんとすばらしい神を、私たちは信じていることでしょう。その知恵と知識と富は、なんと豊かなことでしょう。神のなされる方法を理解することなど、とうていできません。
思いやりのない人には、思いやりのないさばきが下ります。しかし、あわれみ深い人には、神のあわれみがあるのです。
愛する皆さん。炎のように燃えさかる試練に直面しても、あわてたり、おじけづいたりしてはいけません。ふりかかる試練は、決して思いがけないものでも、異常なものでもないからです。
ですから、皆さん。たとえ全世界があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。