そればかりか、跡取り息子が愚か者か賢い者か、だれにわかるでしょう。それでも、私の財産はすべて、息子のものになるのです。なんと気分がめいることではありませんか。
死後は、父ダビデの町に葬られ、彼の子レハブアムが代わって王となりました。
新しい王は若者たちが言ったとおり荒々しく答えました。長老たちの助言を無視して、
しかし、してきたことを振り返ってみると、どれもこれも役に立たないことばかりで、風を追うようなものでした。これこそ価値があると言えるものなど、どこにもありませんでした。
こうして、満足感を与えてくれると考えていた労苦も愚かしく思われ、見切りをつけました。生涯をかけて知恵や知識や技術を追求しても、せっかく手に入れたものを全部、何もしなかった者に譲るはめになるのです。そんな者が、私が努力して得たものを受け継ぐのです。むなしいだけでなく、不公平です。どれほど必死に働いても何の役にも立ちません。あるものといえば、悲しみと悩みに押しつぶされそうな、心の休まらない日々と眠れない夜です。全くむなしい話ではありませんか。
だからこそ、自分の仕事に生きがいを見いだす以上に幸福なことはないと判断したのです。これが人間が地上にいる理由です。未来に起こることを楽しむことはできないのですから、今のうちに人生を十分に楽しむことです。
人の世の出来事を見てきた私に、もう一つ深く印象に残っていることがあります。
この抜け目のなさには、さすがの金持ちも舌を巻き、うまいやり方だ、とほめないわけにはいきませんでした。確かに、この世の人々のほうが、神を信じる者たちよりずっと抜け目がないのです。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根です。ある人たちはお金を愛するあまり、信仰から迷い出て、ひどい苦痛をもって破滅に陥りました。
すべての良いもの、完全なものは、光を造られた神から来るのです。神にはわずかの変化もくもりもなく、いつまでも輝いています。
しかし、神からの知恵は純粋であり、平和とおだやかなやさしさに満ち、思いやりと良い実に満ちています。