思うに、この世に価値のあるものなどない。 すべてがむなしい。
野ろばの子が人間として生まれないように、 人間が賢くなることなどありえない。
人の一生は、ただのひと呼吸のよう、 また影のようで、はかなく消えるではありませんか。
あなたが人間の一生を、どんなに短く、 むなしいものにお定めになったか 思い起こしてください。
だから、悲しみと痛みを取り除きなさい。しかし、これから長い人生が待ち受けている若い日にも、過ちを犯してしまうことを忘れてはいけません。
長生きしている人は、一日一日を存分に楽しみなさい。ただし永遠と比べたら、地上のことはみなむなしいことを覚えておきなさい。
伝道者は言います。すべて何もかもむなしい、と。
しかし、してきたことを振り返ってみると、どれもこれも役に立たないことばかりで、風を追うようなものでした。これこそ価値があると言えるものなど、どこにもありませんでした。
知恵の足りない人が死ぬように、いずれこの私も死ぬということです。それなら、知恵をつけたところで、いったい何の益があるというのでしょう。私は、知恵をつけることでさえむなしいものだと悟ったのです。
私はここまでわかると、生きているのがいやになりました。人生は不条理きわまりないからです。何もかもむなしく、風を追うようなものです。
そればかりか、跡取り息子が愚か者か賢い者か、だれにわかるでしょう。それでも、私の財産はすべて、息子のものになるのです。なんと気分がめいることではありませんか。
人間も動物も、同じ空気を吸い、同じように死んでいきます。人間が獣より優れている点などないのです。なんとむなしいことでしょう。
こうして彼は、幾百万もの人の指導者となり、非常に有名になるかもしれません。ところが次の世代の人は、彼を追放してしまいます。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
次に私は、物事を成功させる原動力がねたみであることを知りました。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
息子も兄弟もいない一人暮らしの人が、さらに金持ちになろうと目の色を変えている場合です。この人は、だれに全財産を残そうというのでしょう。全く割の合わない、憂うつな話です。
金銭を愛する者は、決してこれで満足だということがありません。金さえあれば幸せだという考えは、なんと愚かなことでしょう。
しゃべればしゃべるだけ、口にすることばの意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましなのです。
その日には、罪、死、腐敗など〔この世界は今、神の命令により、不本意ながらこれらのものに支配されていますが〕は跡形もなく消え去り、この世界は、神の子どもたちが喜びをもって味わうことができる、罪からの輝かしい解放にあずかるからです。