イザヤはまた、ほかの箇所でこう語っています。 「神のあわれみがなかったら、 ユダヤ人はみな、 ちょうどソドムやゴモラに住む人々が 全滅したように、 一人残らず滅ぼされたに違いない。」(イザヤ1・9)
さあ、聞きなさい。ソドムとゴモラのような イスラエルの指導者と住民ども。 主が語ることを聞きなさい。
もし天の軍勢の主が介入して、 わずかに生き残った私たちを救ってくれなかったら、 私たちはソドムやゴモラ(悪行のために神に滅ぼされた町)の住民のように 全滅していただろう。
こうして、王国の誉れであり カルデヤ文明の華であったバビロンは、 天からの火に焼かれたソドムとゴモラのように滅びる。
それでもなお民の十分の一は残る。 イスラエルは何度も侵略され、戦火に見舞われる。 しかし、切り倒されてもなお新芽を出す 切り株のように、必ず立ち直る。」
おまえの町々は、ソドムとゴモラやその近くの町々のように静まり返る。二度とそこに住む者はいない。
わたしは、ソドムとゴモラとその近くの町々を滅ぼしたように、バビロンを滅ぼす。これらの町々に人が住まなくなったように、バビロンにも人が寄りつかなくなる。」
主の恵みは決してなくなることがない、 ということです。 私たちが滅亡しなかったのは、 主の恵みによります。
それというのも、イスラエルの罪は、 またたく間に、人の手によらず滅んだ ソドムの罪より大きいからです。
わたしはソドムとゴモラにしたように、 あなたがたの町の幾つかを破壊した。 生き残った者たちは、 火の中から取り出された燃えさしのようだ。 それでも、わたしのもとへ帰ろうとしない。
海岸地帯は牧草地となり、羊飼いがテントを張り、 羊がたわむれるようになる。
全土が塩分を含んだアルカリ性の荒れ地となり、種もまけず収穫もなく、一本の草木も生えません。まるで、主の怒りによって滅ぼされたソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムのようになってしまいます。
聞きなさい、あなたがたの農場で働いた労働者の叫び声を。あなたがたは彼らの賃金を搾取したではありませんか。彼らの叫びは、万軍の主の耳に達しているのです。
また、ソドムとゴモラの町を灰の山と変え、地上から消し去りました(創世19章)。それは、後世の不敬虔な者への見せしめであり、それによって、彼らが神を恐れるようになるためでした。
また、ソドムとゴモラ、およびその周辺の町々に起こったことも忘れてはなりません。これらの町は、同性愛やあらゆる種類の好色に満ち、そのために、永遠の刑罰の火で焼き滅ぼされたのです。これらのことは、最後のさばきがあることを、後世の人々に知らせる警告となったのです。