これでわかるように、神はみこころのままに、ある人々をあわれみ、ある人々を不従順な者とされるのです。
主はモーセに言いました。「再び王のところへ行って要求しなさい。しかし、承知しないだろう。わたしがそうさせるからだ。それは、彼らの間で奇跡を通して、わたしの力をさらに見せるためであり、
しかし主は、またもファラオの心をかたくなにしたので、今度も彼はイスラエル人を行かせませんでした。
これを聞いて、ファラオはまた心を固くしました。神がそうされたのです。「そんな勝手を言うなら行かせてやるものか」と彼は思いました。
そういうわけで、モーセとアロンが数々の奇跡をファラオの目の前で行ったにもかかわらず、神はファラオの心をかたくななままにしておかれ、イスラエル人の出国をなかなか許そうとはしなかったのです。
わたしはエジプト人の心をかたくなにさせ、彼らにあなたがたのあとを追わせる。だがその時、ファラオとその全軍勢、戦車や騎手たちをわたしは滅ぼす。そしてわたしの栄光を現す。
そして、またも意地になって、あとを追いかけて来る。すべてわたしの思うつぼだ。ファラオとその軍隊に、はっきりとわたしの力と栄光を見せよう。エジプト人も今度こそ、わたしが主であることを認めるようになる。」 イスラエル人はそのとおりにしました。
主はモーセに言いました。「エジプトに帰ったらファラオのところへ行き、教えたとおり奇跡を行いなさい。だが彼は強情を張って、すぐにはイスラエル人の出国を認めないだろう。わたしがそうさせるのだ。
それでもファラオは、頑としてモーセの言うことを聞こうとしません。
ファラオは簡単には承知しないので、わたしはエジプトで数々の奇跡を行う。
しかし主は、ファラオが強情を張るままにさせたので、彼は神の命令に従おうとはしませんでした。主がモーセに予告したとおりです。
ファラオは使いをやり、イスラエル人の家畜が一頭も死なないというのはほんとうかどうか調べましたが、間違いありませんでした。それでも、やはり彼の気持ちは変わらず、イスラエル人を行かせようとはしませんでした。
主よ、なぜ私たちを頑固にし、 罪を犯して神に背くようにされたのですか。 どうか、戻って来て、私たちを助けてください。 私たちは神のもの、どうしても神が必要です。
「神は彼らの目を盲目に、心をかたくなにされた。彼らが見ることも、理解することも、わたしのもとに立ち返っていやされることもないためだ。」(イザヤ6・10)
愛する皆さん。この神の真理を知っていただきたいのです。そうすれば、高ぶったり、自慢したりすることもないでしょう。確かに今、ユダヤ人のある者はこの救いの真理に反対していますが、そのような状態が続くのは、あなたがた外国人のうち、救いを願う者がすべてキリストのもとに来るまでの間にすぎません。
神こそ、いっさいの賞賛を受けるべきお方です。神は、驚くばかりの恵みと愛とを豊かに注いでくださいました。それは、私たちが、神の最愛のひとり子につながる者となったからです。
ところが、ヘシュボンの王シホンはこれを断りました。今日見るとおり、王をあなたがたの手で滅ぼそうと、主が強情を張らせたのです。
それは、主が敵の王たちに、イスラエルと和を講じるよりも対抗する道を選ばせたからです。それで敵は、主がモーセに命じたとおり、非情にも一掃されることになったのです。