では、私たちを罪に定めるのはだれですか。キリストですか。とんでもない。キリストは私たちのために死に、復活し、今は神の右の座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。
神が沈黙を守っているからといって、 だれが神を非難できよう。 神は、悪者が支配権をにぎらないようにして、 国を滅亡から救う。 その一方で、いとも簡単に一つの国を葬る。
主は、飢えている貧しい者の味方となって、 敵の手から救ってくださるからです。
しかし、悪者どもの思いどおりになるのを、 主が見過ごされるはずがありません。 神を敬う人は、 法廷に引き出されるようなことがあっても、 有罪の判決を受けることはありません。
私を正しいと認めてくれる方がそばにいるのです。 さあ、だれが相手になるのか。私の敵はどこか。 いるなら、出て来なさい。
それゆえ、わたしは 彼に、 偉大な勝利者としての栄誉を与える。 彼は進んでいのちをささげたのだ。 彼は罪人の一人に数えられ、多くの人の罪を負い、 罪人のために神にとりなしをした。」
その日には、イスラエルにもユダにも、罪は一つも見当たらなくなる。わたしは残った者たちを赦すからだ。
さらに、焼き尽くすいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭、
メシヤのわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みなに仕えるためにこの世に来たのです。そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。」
こう語り終えると、イエスは天に上げられ、神の右の座につかれました。
もうすぐわたしはこの世を去りますが、それでもなおいっしょにいるのです。わたしはよみがえり、あなたがたもいのちを受けるからです。
その時には、何一つわたしに求める必要はありません。直接父に求めることができるからです。父は、わたしの名によって求めるものは何でも与えてくださいます。
そうした上で、この方を死の苦しみから解放し、復活させたのです。この方が、ずっと死んだままでいることなど、ありえないことだからです。
ですから、これからはもう批判し合うことのないようにしましょう。むしろ、人をつまずかせないようにすることを心がけましょう。兄弟が「悪いことだ」と信じていることを目の前で行って、彼をつまずかせてはいけません。
キリストが死んで復活したのは、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリストが私たちの主となられることでした。
主イエスは、私たちの罪のために死なれました。そして、私たちを神との正しい関係に入れ、神の恵みで満たすために復活なさったのです。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。
すべての人の心を知っておられる父なる神は、御霊が私たちのために、神ご自身のお心にかなう願いをささげてくださる時、その願いの意図をもちろん知っておられます。
キリストが死からよみがえられた時、あなたがたも共によみがえったのですから、天にある無尽蔵の富と喜びに目を向けなさい。そこでは、キリストが栄誉と力とを帯びて、神の右の座についておられます。
御子は神の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。また、その人格と行動すべてにおいて神であることを示し、力あることばによって万物を治めておられます。そればかりか、私たちのすべての罪の記録を消し去ってきよめるために死んでくださいました。そして今は、最高の栄誉を受けて、天におられる偉大な神のそばにいらっしゃるのです。
また、ご自分を通して神のもとに来る人々を、完全に救うことがおできになります。永遠に生きておられるキリストは、いつも神のそばで、ご自分の血によって彼らの罪が帳消しになるようにとりなしていてくださるのです。
キリストは、天にあるものの模型にすぎない、地上の神殿に入られたのではありません。天そのものに入られ、今は、私たちの友として神の前に出られたのです。
キリストも苦しまれました。罪を犯したことのない方であったにもかかわらず、私たち罪人のために死なれたのです。それは、肉においては死んでも、霊においては生かされて、私たちを神のもとに導くためでした。
今、キリストは天で、神の右の座につき、すべての天使と天の軍勢を従えておられます。