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相互参照
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ローマ人への手紙 7:5

リビングバイブル

私たちの古い性質がまだ生きていた時には、欲望が私たちの中で思うままにふるまい、神の命令に逆らって、罪深い行いという死に至る腐った実を結びました。

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28 相互参照  

つまり、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、うそ、また悪口などは、心から出て、

人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。

こういうわけで、神は彼らを放任し、したいままにさせられました。そのため、女は定められた自然の姿に逆らって同性愛にふけるようになり、

おわかりでしょうか。律法の命じることを行って、神に正しい者と認められようとしてもむだです。私たちは律法を深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるのです。律法は私たちに、自分が罪人であることを自覚させるのです。

しかし実際、律法を守ることによって神の祝福と救いとを得ようとしても、結局は、神の怒りを招く結果に終わるだけです。律法を破らないためには、破るような律法を持たないようにするしかありません。

律法が与えられてから、すべての人は、自分がいかに神のおきてに従えない存在か、よくわかるようになりました。しかし、私たちは、自分の罪深さを知れば知るほど、赦してくださる神の満ちあふれる恵みが、いっそうわかるようになるのです。

体のどんな部分をも、罪を犯す道具にしてはいけません。むしろ、自分自身を神にささげなさい。あなたがたは、死者の中から生かされた者であり、神に使っていただく良い道具として役立つ者となりなさい。

このように奴隷と主人にたとえてわかりやすく言うのですが、あなたがたはかつて、あらゆる罪の奴隷でしたが、今は、あらゆる正しいこと、きよいことに仕える奴隷とならなければなりません。

その結果はどうだったでしょうか。自分がしていたことを考えるだけでも、恥ずかしくなるはずです。その行き着くところは、永遠の滅びでした。

罪の支払う報酬は死です。しかし、神が下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。

心の中に潜む悪い性質には別の力があって、それが私の心に戦いをいどみます。そして、ついに私を打ち負かし、いまだに私のうちにある罪の奴隷にしてしまうのです。私は、心では喜んで神に従いたいと願いながら、実際には、相変わらず罪の奴隷となっています。 これが私の実情なのです。ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。いったいだれが、この悪い性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。しかし、主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。

私がごくあたりまえの弱い人間であることは事実です。しかし私は、戦いに勝つために人間的な計画や方策を用いません。

律法の行いに頼って救われようとする者は、神にのろわれます。なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあることばを一つでも破る者は、のろわれる」(申命27・26)とはっきり書いてあるからです。

キリストに属する者は、生まれながらの自分が持つ肉の欲望を十字架につけてしまったのです。

あなたがたも以前は異教徒として、ユダヤ人から、神を信じない「汚れた者」と呼ばれていたことを思い出してください。もっとも、そういうユダヤ人も、神を敬うしるしとしての割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けて、信心深そうに儀式や礼拝を守っていたとはいえ、心は汚れたままだったのですが。

私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。

ですから、罪深い肉欲を捨てなさい。性的な罪、汚れ、情欲、恥ずべき欲望などと縁を切りなさい。この世の富や快楽を慕い求めてはいけません。それは、神でないものを神とする、偶像礼拝だからです。

以前の私たちも、分別の足りない不従順な者であり、人に迷わされ、さまざまな快楽や欲望のとりこになっていました。心は悪意とねたみの固まりで、憎んだり憎まれたりしながら生活していました。

その欲や悪い考えが悪へと駆り立て、ついには、神から永遠に引き離される死の刑罰へと追いやるのです。

あなたがたの争いは、いったい何が原因ですか。あなたがたの心にうず巻く悪い欲望から出たものではありませんか。

罪を犯し続ける人は、神に逆らっているのです。罪はすべて、神のお心に反する行為だからです。




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