今は、罪という古い主人から解放されて、義という新しい主人の奴隷になっているのです。
ああ主よ。 自由の身としていただいた私は、 いつまでもあなたにお仕えします。
あなたのお心に従いたいと思うように助けてください。 そうすれば私は、あなたのおきてに さらに情熱を傾けることができるでしょう。
私たちの神、主よ。 私たちは以前、ほかの神々を拝んでいましたが、 今はあなただけを礼拝しています。
しかし、やがて来る日には、 あなたに向けられるどんな武器も役に立たなくなり、 法廷でどんなに偽証がなされようと、 あなたは正しいと認められるようになる。 これが、主のしもべの特権であり、 わたしからの祝福だ。」 こう主は語ります。
「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。 主は、貧しい人たちに この福音(神の救いの知らせ)を伝えるために、 わたしを任命された。 主はわたしを遣わして、 捕虜には解放を、 盲人には視力の回復をお告げになる。 踏みにじられている人を自由にし、 主の恵みの年をお告げになる。」(イザヤ61・1―2)
あなたがたは真理を知り、その真理があなたがたを自由にするのです」と言いました。
だから、神の子が自由にしてあげたなら、それでほんとうに自由の身になるのです。
罪は、二度とあなたがたを支配しません。なぜなら、あなたがたはもう律法に束縛されてはおらず、恵みの中にあって、自由の身となっているからです。
しかし今は、罪の力から解放されて、神に仕える者になりました。そして、神があなたがたに下さる恵みによってきよくされ、永遠のいのちが与えられているのです。
罪に対して死んだ者は、どんな罪の誘惑や力からも自由にされるのです。
なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
このように、キリストは私たちを自由の身にしてくださいました。ですから、この自由をしっかりと握っていなさい。もう二度と、律法にがんじがらめになった奴隷とならないよう、細心の注意をはらいなさい。
あなたがたは、この世から解放された自由人です。しかし、それを好き勝手なことをするためにではなく、ただ神に従うことに用いなさい。