反対に、神に従う人にはだれであっても、神からの栄光と栄誉と平安とがあります。
神に口答えするのはやめることだ。 いさぎよく和解することだ。 そうしたら、心に安らぎが訪れる。 間違っていたことを素直に認めれば、 神のいつくしみがある。
それは、責められるところのない生活を送る、 誠実そのものの人です。
主はご自分の民に力を与え、 平安をもたらし、祝福を与えてくださいます。
それに引き替え、正しい人はどうでしょう。 非の打ちどころもなく高潔で、 平和を愛するその人の未来は美しく輝いています。 すばらしい晩年が待っているのです。
悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、 正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。
いつまでも続く富と名誉、正しいことを行う力は わたしにある。
主よ、私たちに平和を与えてください。 私たちが今持っているもの、私たちの今の境遇は、 みなあなたから頂いたものばかりです。
正義が平和をつくり、 平穏と信頼がいつまでも続きます。
ああ、あなたが、 わたしの教えに従ってくれさえしたら、 平安は川のように流れ、 正義は大波のように打ち寄せるであろうに。
しかし、「神に逆らう者に平安はない」と主は言います。
あなたは喜びと平安に包まれて生活し、 山も丘も野の木々も、周囲のものはみな喜ぶ。
近くにいる者にも遠くにいる者にも、 平安があるように。わたしは彼らをいやす。
しかし、わたしがエルサレムの損害を補償し、繁栄と平和を与える時がくる。
もし神を敬う家庭なら、その家は必ず祝福されるし、そうでなければ、祝福されないでしょう。
その光は、 暗黒と死の陰にうずくまる者たちを照らし、 私たちを平和の道へと導くのだ。」
そのように忠実な姿を見られる人は幸いです。主人は感心して、食卓で、反対に自分のほうから給仕してくれるでしょう。
「永遠の平和がすぐ手の届くところにあったのに、この町はそれをはねつけてしまいました。もう遅すぎます。
やがて時間になり、一同は、その広間でそろって食卓に着きました。
お話しになりました。「だれでも、このような小さな子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れているのです。またわたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた神を受け入れているのです。あなたがたの中で最も謙遜な者が、最も偉い者なのです。」
わたしの弟子になりたい者は、わたしについて来なさい。わたしに仕える者は、わたしのいる所にいなければならないのですから。わたしに従う者に、父は報いてくださるのです。
あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思いと心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世のはかない平安とは比べものになりません。だから、どんな時にもおろおろしたり、恐れたりしてはいけません。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
神を礼拝し、また良い行いをして神に喜ばれる人は、どこの国にもいるのです。
私たちクリスチャンにとって大切なのは、何を食べるか、何を飲むかではなく、義と平安と聖霊から来る喜びとに満ちあふれているかどうかだからです。
そこで、私はあなたがた外国人のために祈ります。どうか、希望を与えてくださる神があなたがたを幸せにし、平安で満たしてくださいますように。どうかあなたがたを、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。
神の喜ばれることを忍耐強く行い、目には見えなくても、神が与えようとしておられる栄光と栄誉と永遠のいのちとを求める人には、それが与えられるのです。
罪を犯し続ける人には、ユダヤ人にも外国人にも、同じように悲しみと苦しみが降りかかります。
ですから、信仰によって神の目に正しい者とされた私たちは、主イエス・キリストによって、神との間に平和を得ています。
聖霊に従って歩むならいのちと平安があり、古い罪の性質に従って歩むなら死が待っています。
ある人が粘土でつぼを作る時、その人は同じ粘土のかたまりを、一つは美しい花びんに、もう一つはふだん使いの容器に作り上げる権利を持っていないでしょうか。
同時に神は、ユダヤ人であっても外国人であっても、ご自分の栄光のために呼び出し、あわれみを与えることで、神がどんなに偉大な方かをすべての人に示す権利を持っておられます。
しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結びます。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
キリストから永遠のいのちをいただいた私たちは、割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の儀式を守っているかどうか、心配する必要はありません。私たちに必要なのは、愛によって働く信仰だけです。
そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神の平安を経験します。キリスト・イエスにあって、その平安はあなたがたの心と思いを静め、安らかにしてくれるのです。
どうか、永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただひとりの神に、栄光と誉れがいつまでもありますように。アーメン。
あなたはその方を、しばらくの間、 天使よりも低いものとしましたが、 今は、栄光と誉れの冠をお授けになり、
アブラハムは心から神を信じていたので、どんなおことばにも喜んで従ったのです。こうしてアブラハムの信仰は、実際の行動によって完全なものと認められました。
良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。それによって、信仰がどれほど強く純粋であるかを量られます。それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。しかも神にとっては、あなたがたの信仰は、金よりはるかに尊いものです。ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強くされるなら、あなたがたは、イエス・キリストが再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを受けることになるでしょう。
そうすれば、偉大な羊飼いであるキリストがおいでになる時、朽ちない栄光の冠を受けるのです。
それゆえ、イスラエルの神であるわたしは、こう宣言する。レビ族の一門であるあなたの家系が常に祭司となると約束したのは確かだが、今や、それがいつまでも続くと考えたら、大きな間違いである。わたしは、わたしを重んじる者を重んじる。わたしを侮る者は、わたしも軽んじる。