キリストも、ご自分を喜ばせようとはなさいませんでした。「彼が来られたのは、実に、敵対する者たちの侮辱を受けて苦しむためであった」と、詩篇の作者が言っているとおりです。
彼らにさげすまれて、私の心は傷つきました。 心はふさぎ込んでしまいました。 一人でも、同情して慰めのことばをかけてくれる人が いてくれたらと思います。
神のことを熱心に思うあまり、 心は焼け尽きそうです。 私があなたを弁護したため、 敵は、あなたに対してするように、 私に侮辱のことばを投げつけてきます。
生徒は先生のようになれたら十分だし、使用人は主人のようになれたら十分です。主人のわたしがベルゼブル(サタン)と呼ばれるくらいなのだから、ましてあなたがたは、どんなひどいことを言われるでしょうか。
三人にこう頼むと、イエスは少し離れた所に行き、地面にひれ伏して必死に祈られました。「父よ。もしできることなら、この杯を取り除いてください。しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください!」
こうしてまたイエスは、彼らから離れて、祈られました。「父よ。もし、この杯を飲みほさなければならないのでしたら、どうぞ、あなたのお心のままになさってください。」
強盗までがいっしょになって、悪口をあびせました。
わたしの戒めを守るなら、わたしの愛のうちに生き続けます。わたしが父の戒めを守り、父の愛のうちに生きているのと同じです。
わたしがあれほどのわざを行わなかったのなら、彼らは罪に定められることもなかったでしょう。けれども、わたしのわざをはっきり見たにもかかわらず、わたしとわたしの父を憎んだのです。
そこでイエスは説明なさいました。「いいですか、わたしの言う食べ物とは、わたしを遣わされた神のお心にかなうことをし、神の仕事をやり遂げることなのです。
しかしわたしは、父と相談もせずにさばいたりはしません。ただ言われるとおりにさばくだけです。ですから、わたしのさばきは絶対に公平で正しいのです。自分の考えだけによらず、わたしを遣わされた神の意思に従ってさばくからです。
わたしが天から下って来たのは、自分の思いのままをするためではなく、神の意思を行うためだからです。
わたしをお遣わしになった方が、わたしといつもいっしょにおられます。わたしをお見捨てになることはありません。わたしがいつも、その方のお心にかなうことをするからです。」
あなたがたは、主イエス・キリストが、どんなに愛と恵みに満ちておられたかを知っています。あれほど富んでおられた主が、あなたがたを助けるために、あれほど貧しくなられました。その貧しさによって、あなたがたを富む者とするためでした。
私たちに対するキリスト・イエスの態度を見ならいなさい。
そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。