次のように記されているのは、そのことなのです。 「神は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。 それゆえ、(キリストのことを)語りかけても、 彼らにはわからない。 今日までその状態は続いている。」(イザヤ6・10)
この傾向は今も残っています。彼らは、心から主を恐れることもなく、のちにイスラエルと改名したヤコブの子孫に与えられた、主の教えを守ることもなく、ただ、昔からの故国の習わしに従っていました。
一方、バビロンからの移住者は、主を礼拝したものの、同時に彼らの偶像も拝みました。今でも、彼らの子孫は同じことをしています。
主が深い眠りの霊を注いだからです。 主が預言者や先見者の目をふさいだので、
「では行って、こう言うのだ。 『おまえたちは、わたしのことばを何度も聞くが、 悟ることがない。わたしが奇跡を行うのを何度見ても、 それが何を意味するのか理解することができない。』
目があっても見えず、耳があっても聞こえない、 愚かで思慮のない者たちよ。
「人の子よ、あなたは反逆者たちの中に住んでいる。彼らは真理を知ろうとするなら知ることができるのに、知ろうともしない。また、聞こうとするなら聞けるのに、聞こうともしない。
わたしは彼らに、自分のやっていることがどんなに恐ろしいことかを知らせ、また、わたしだけが神であることに気づいてほしいと思い、わたしが与えた非常に良いもので、彼らが自分の身を汚すのをそのままにさせた。彼らは、最初に生まれた子どもを偶像にささげて、焼き殺したのだ。
イエスはお答えになりました。「あなたがたには神の国の奥深い真理を理解することが許されていますが、群衆はそうではありません。だから、たとえで話すのです。彼らは見たり聞いたりしても、少しも理解しようとしません。
『ユダヤ人に告げよ。 「あなたがたは聞くには聞くが理解しない。 見るには見るが認めない。
それなのに、今までまるで悟らず、見る目も聞く耳も持ちませんでした。