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ローマ人への手紙 10:19

リビングバイブル

さらにユダヤ人は、もし自分たちが神の救いを拒むなら、その救いはほかの人々に与えられることを知っていたのでしょうか。もちろん知っていました。というのは、その昔モーセの時代に、すでに神はこう告げておられたからです。 「わたしは、無知な異教の諸国民に 救いを与えることで、 わたしの民にねたみを起こさせ、 その目を覚まさせよう。」(申命32・21)

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19 相互参照  

神を知らない愚か者は、偶像に頭を下げます。 彼らは恥ずかしいことをしています。 いのちも力もない、偽りの神々を作っているからです。

どんなに知恵があっても、偶像を拝む者はみな、 愚か者です。

その時わたしはイスラエル人という種をまき、 自分自身のためにそれを育てる。 『あわれみをかけられなかった』者たちをあわれみ、 『わたしの民ではない』者たちに、 『今、おまえたちはわたしの民だ』と言おう。 すると彼らは、『あなたこそ私たちの神です』 と答える。」

しかし、ユダヤ人はどうなのでしょうか。彼らは神のことばを聞いたのでしょうか。もちろんです。神のことばは、彼らをどこまでも追いかけ、地の果てまでも告げ知らされたのですから。

これは、神がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。神の目的は、このことによって神の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、自分でも救いを求めるようになることにあったのです。

しかし何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを求めさせ、幾人かでも救いたいのです。

そして今日も、神はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。イエスが彼らを、義と認めてくださるためです。 しかし、このように罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神の公正なやり方に反するのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。なぜなら彼らが、自分の罪を帳消しにしてくださったイエスを信じたという事実に基づいて、神はそうなさるからです。

ある人は「私はパウロの弟子だ」と言い、また、ある人は「私はアポロの弟子だ」とか「私はペテロの弟子だ」と言い、また、ある人は「自分たちだけがキリストの真の弟子だ」と言っているそうですね。

私は何を言おうとしているのでしょうか。異教徒たちが供え物をささげている偶像はほんとうに存在するとか、あるいは、偶像への供え物に何か意味があるとか言おうとしているのでしょうか。いや、違います。

なんということでしょう。ほんとうに、そうなのですか。食べたり飲んだりなら、自分の家でできるではありませんか。そうすれば、教会の名誉を傷つけたり、食べ物を持って来られない貧しい人たちに、恥をかかせたりしないですみます。このことについて、何と言ったらよいでしょう。ほめてでも、もらいたいのですか。そうはいきません。

覚えがあると思いますが、あなたがたは異教徒であった時、ひとことも口がきけない偶像のもとへあちこち出かけたものでした。

愛する皆さん。念を押して言います。地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。

私たちに残された時間はきわめて短く、主の働きをする機会もきわめて少ないのです。そういうわけで、妻のある者も、主のためにできるだけ身軽にしていなければなりません。

恨みを買ってでも、まやかし物の偶像を拝みたいのか。 ならば報いを与えよう。 あなたを捨て、 無知な異教の諸国民に救いを与えるから、 さんざん恨みごとを言うがいい。

以前の私たちも、分別の足りない不従順な者であり、人に迷わされ、さまざまな快楽や欲望のとりこになっていました。心は悪意とねたみの固まりで、憎んだり憎まれたりしながら生活していました。

あなたがたは、以前は全く無きに等しい者でしたが、今は神のものとされています。以前は神のいつくしみから遠い者でしたが、今では神のいつくしみによって変えられました。




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