しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めることができるでしょうか。また、主イエスのことを一度も聞いたことがなければ、どうしてそのお方を信じることができるでしょうか。だれかが教えてくれなければ、どうしてそのお方のことを聞けるでしょうか。
人々は主の前に恐れ、いけにえをささげて、主に仕えることを誓いました。
身の危険を感じた水夫たちは、必死の思いで、自分の信じている神々に助けを叫び求め、船を軽くしようと、積み荷を海に捨てました。その間、ヨナは船底でぐっすり眠っていたのです。
『仕事がないのです』と答えたので、農園主は言いました。『それなら今すぐ行って、私の農園でみんなといっしょに働きなさい。』
しかし、これらのことを特に書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるため、またそう信じていのちを得るためです。
「先生。どなたがメシヤ様なのでしょうか。教えてください。ぜひ信じたいのです。」
「ところで、信じた時、聖霊を受けましたか。」「いったい何のことでしょう。聖霊のことなど聞いたこともありません。」
「残念ながら、だれかが教えてくれないとわかりません。」こう答えると、その人はピリポに、馬車に乗ってそばに座ってほしいと頼みました。
このキリストを通して、今や、神のすべての恵みが、それを受ける資格のない罪人の私たちに、あふれるばかり注がれています。そして今、私たちは、神がなしてくださったことを全世界の人々に知らせるために、キリストから遣わされているのです。それは、すべての人がキリストを信じ、従うようになるためです。
そして、キリストは、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、平和をもたらしてくださいました。
もしあなたがたが、ほんとうにキリストの声を聞き、キリストについて真理を学んでいるなら、
また、だれも伝えてくれないほど遠い海のかなたにあるわけでもありません。
しかし主は共にいて、私を助けてくださいました。神のことばがあらゆる国の人に伝えられるため、大胆に福音を語る機会を与えてくださいました。また、あわやライオンのえじきとなるところを、助け出してくださいました。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神のもとに来ようとする人はだれでも、神の存在と、熱心に神を求めれば神は必ず報いてくださることを、信じなければなりません。
その祈りが信仰によってささげられたものなら、病気は治るでしょう。もし病気の原因が罪によるものなら、主はその罪を赦してくださいます。