次は民のささげ物の番です。アロンは自分のときと同じ要領で、罪の赦しのためのいけにえとして、やぎをささげました。
それから、祭司はこの雄やぎを殺し、血を祭壇に注いで罪の赦しのためのいけにえとし、王が命じたとおり、イスラエル全国民のために贖いをしました。焼き尽くすいけにえと罪の赦しのためのいけにえをイスラエル全国民のためにささげるように、王から指示してあったからです。
彼を傷つけ、悲しみで満たすのは、 主の計画だったのです。 罪の赦しのためのささげ物として、 そのたましいをささげるとき、 彼は多くの子孫を見ることができます。 彼は復活し、 神の計画は彼の手によって成し遂げられます。
こう言うと、モーセは罪の赦しのためのいけにえ用のやぎを捜しましたが、どこにも見つかりません。すでに焼いてしまっていたのです。このことで、モーセはエルアザルとイタマルとをしかりました。
そして、内臓と足もきれいに洗い、焼き尽くすいけにえとして祭壇で焼きました。
「人々に、罪の赦しのためのいけにえ用に雄やぎを、焼き尽くすいけにえ用に傷のない一歳の子牛と子羊を用意させなさい。
それは神様が、罪のないキリストに私たちの罪を負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったのですから。
キリストは、私たちの罪のためにご自分をささげ、神のさばきを受けて死んでくださいました。それは、罪のどろ沼にはまり込んでいた私たちを助け出してご自分の民とし、心のきよい、熱心な、善意の人と変えてくださるためでした。
イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。