主がしてはならないと定めたおきてのどれかに違反すれば、たとえ気づかずにしたことでも罪に定められる。そのときは、犯した罪に見合ういけにえをささげなければならない。これは自分の罪過を償ういけにえで、傷のない雄羊を一頭ささげる。祭司は雄羊一頭でその者の罪過の償いをする。過って犯した過失、知らずに犯した過失は、これで赦される。
しかし人は、心にひそむ罪を どうして知ることができましょう。 どうか、隠れた罪からきよめてください。
イスラエルの民全体が過って罪を犯し、してはならないことをした場合は、全国民が有罪となる。
指導者のだれかが過って罪を犯し、主の戒めに背いた場合は、
一般のイスラエル人が、過って罪を犯したとき、
「不実なことを行い、過って神聖なものを汚したときは、その罪を償うのに見合ういけにえとして、傷のない雄羊を一頭ささげなさい。
罪を犯し、主の前に責めを負った者は、このようにして罪過を償ういけにえをささげなければならない。」
しかし、自分でも気がつかないうちに悪いことをした人の罰は、軽くてすみます。だれでも多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されるのです。
しかし、「自分がしようとしていることは悪いことだ」と思いつつしている人は、してはなりません。悪いと思うことをするのは、すべて罪です。