しかし、人であれ家畜であれ畑であれ、主に完全にささげたものは、売ることも買い戻すこともできない。それは主のもので、最も神聖なものだからだ。
東の門の門衛であったレビ人イムナの子コレは、ささげ物を祭司に分配する責任者になりました。彼を忠実に補佐したのがエデン、ミヌヤミン、ヨシュア、シェマヤ、アマルヤ、シェカヌヤで、彼らは、それぞれの町に住む祭司の家に、年齢の別なく等しく分配しました。
唯一の主以外の神々にいけにえをささげる者は死刑に処せられる。
彼らの食物は、穀物のささげ物や罪の赦しのためのいけにえ、罪過を償ういけにえなど、人々が神殿に持って来たささげ物やいけにえである。主にささげられる物は何でも、祭司のものとなる。
この特別区の買売や交換は厳禁され、ほかの者に使わせてもいけない。それは主のために聖別された地だからである。
ただし、いけにえのうち祭司の食物になる分は、聖なるものでも最も聖なるものでも食べてよい。
その畑はヨベルの年に、主にささげられた土地として祭司のものになる。
いけにえにできない家畜の初子の場合は、祭司がつけた評価額の二割増しを支払う。持ち主に買い戻すつもりがないなら、祭司はほかの者に売ってかまわない。
死刑を宣告された者は、代わりに罰金を支払って免れることはできない。必ず死刑となる。
わたしへの奉納物はみな、あなたがたのものだからだ。イスラエル人の長男も、家畜の初子もみな、あなたがたのものだ。
次に、左側にいる人たちに言います。『のろわれた者たちよ。さあ、悪魔とその手下の悪霊どものために用意されている、永遠に燃え続ける火の中に入りなさい。
もし主を愛さない人があれば、その人はのろわれます。主イエスよ、来てください。
律法の行いに頼って救われようとする者は、神にのろわれます。なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあることばを一つでも破る者は、のろわれる」(申命27・26)とはっきり書いてあるからです。
しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」(申命21・23)と書いてあるからです。
あなたの神、主が約束の地で敵を破り、あなたがたが安心して住めるようになったら、アマレク人をすべて打ち滅ぼし、その名を完全に葬り去りなさい。どんなことがあっても必ずそうしなさい。
さらに、偶像を家に持ち込んだりすれば、そんなことをしたが最後、死をもって罰せられます。のろわれた偶像は心底から憎みなさい。
ヨシュアは、エリコを再建しようとする者には恐ろしい災いが下ると誓って言いました。その土台を築く者は長男を殺され、その門を建てる者は末息子を失うというのです。
しかし、イスラエル人の中に罪が潜んでいました。主にささげるもの以外は滅ぼし尽くせというヨシュアの命令が、実は守られていなかったのです。ユダ族のカルミの子で、祖父はザブディ、曾祖父がゼラフであるアカンが、戦利品の一部をふところに入れていました。そのために、主の激しい怒りがイスラエルの民に下ったのです。
ヨシュアはアカンに言い渡しました。「どうして、われわれにこんな災難を招くようなことをしでかしたのだ。今度は、主があなたに災難を下される。」人々は彼とその家族を石で打ち殺し、死体を焼き、
かといって、われわれの娘を与えるわけにはいかない。厳粛な誓いを立てた以上、破った者は神からのろわれるからだ。」
そして、彼らは言い始めました。「ミツパで主の前に集まった時、イスラエルの部族で欠席した者はいなかっただろうか。」というのは、その時、「出席を拒む者は必ず殺される」というきびしい誓いを立てていたからです。
主に何と命じられたか、忘れてはいないだろう。『罪人アマレクのすべてを滅ぼし尽くせ』と言われたのではなかったか。
さあ、攻め上ってアマレク人を一人残らず打ちなさい。男も女も、子どもも赤ん坊も、牛も羊も、らくだもろばも徹底的に打つのだ。』」