傷のあるものはいっさい認めない。わたしはそのようなものは受け取らない。
主はこう語ります。「毎年第一の月の一日(ユダヤ暦による。太陽暦では三月中旬)に、傷のない若い雄牛をいけにえとしてささげ、神殿をきよめなさい。
どんな傷でも睾丸の傷ついた動物は、つぶれていようが切り取られていようが、主にささげてはならない。
イスラエル人だけでなく、在留外国人も同じ制限を受ける。わたしは傷のある動物は、いけにえとして受け取らないからだ。」
和解(主への感謝)のいけにえの場合は、雄牛でも雌牛でも、どこにも傷のないものをささげなければならない。
和解のいけにえに羊かやぎを使うときは、傷のないものであれば、雄でも雌でもかまわない。
あなたがたは人々に教えている。 『主の祭壇に足の悪い動物をささげてもよい。 病気の動物や目の見えない動物でもよい。』 これを悪いことではないと言い張るのか。 あなたがたの総督に、同じことをしてみるがよい。 同じような贈り物を贈ってみるがよい。 総督がそれを喜んで受け取るだろうか。
その日はまた、わたしの受け入れる焼き尽くすいけにえとして、傷のない若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。
しかし、足が悪かったり、目が見えなかったりして欠陥のあるものはいけにえにできません。
病気や欠陥のある牛や羊は、主へのいけにえにできません。それらをささげるのは、主の忌み嫌われることです。
ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。それは、一つの罪も欠点もない完全なお方が、聖霊の助けによってご自分を喜んで神にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです。
一点の罪もしみもない神の小羊、キリストの尊い血によって支払われたのです。