アロンが聖所に入って罪の償いをするときは、自分と家族と全イスラエル人のために罪の償いをして出て来るまで、だれひとり幕屋に入ってはならない。
だれもいっしょに来てはならない。山のどこにも人がいてはならない。羊や牛の群れも、山の近くでは放牧しないようにしなさい。」
私たちは神の道を離れ、 羊のようにさまよい出て、 自分勝手な道を歩いてきました。 しかし神は、私たち一人一人の罪を 彼に負わせたのです。
主は、エルサレムとあなたの同胞とに、さらに四百九十年に及ぶさばきを言い渡した。そののち、ようやく彼らは罪から離れるようになり、その罪のとがめから解き放たれる。それから、永遠の義の支配が始まり、預言者たちが告げたように、神殿の至聖所が再建される。
このようにして、アロンは至聖所の汚れをきよめる。至聖所が人々の罪で汚されたからだ。人々のただ中にあって、汚れに囲まれている幕屋のためにも、同様にする。
それがすんだら、主の前にある祭壇の汚れをきよめる。若い雄牛とやぎの血を祭壇の角に塗る。
香がたかれている間、民衆は神殿の庭で祈るのです。大ぜいの人が集まっていました。
この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」
その真理とはこうです。神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。これこそ、時が至って、神が私たちに示された教えにほかなりません。
御子は神の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。また、その人格と行動すべてにおいて神であることを示し、力あることばによって万物を治めておられます。そればかりか、私たちのすべての罪の記録を消し去ってきよめるために死んでくださいました。そして今は、最高の栄誉を受けて、天におられる偉大な神のそばにいらっしゃるのです。
ただし、奥の第二の部屋には、大祭司だけが年に一度だけ、一人で入って行きました。そのとき彼は、血を携えて行かなければなりません。その血は、彼と民全体があやまって犯した罪をきよめるための供え物として、「恵みの座」にふりかけられました。
キリストは、私たちの罪をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは罪から離れ、正しい生活を始めることができたのです。キリストが傷つくことによって、私たちの傷はいやされました。
キリストも苦しまれました。罪を犯したことのない方であったにもかかわらず、私たち罪人のために死なれたのです。それは、肉においては死んでも、霊においては生かされて、私たちを神のもとに導くためでした。