ツァラアトが足の先から頭の先まで全身に広がっているのがわかったら、
もし民が罪を悟り、この神殿に向かって祈るなら、
「私は何の値打ちもない者です。 どうして答えることができましょう。 口に手をあてて黙り込むだけです。
私は、つくづく自分がいやになり、 ちりと灰の中で悔い改めます。』」
私たちはみな罪の毒に冒され、汚れきっています。 これこそ正義だという最上の着物をまとっても、 悪臭を放つぼろきれにすぎません。 私たちは秋の木の葉のように色あせ、 しおれて落ちます。 あえなく罪の風に吹き飛ばされるばかりです。
そのような症状がはっきり見えたら、慢性のツァラアトである。祭司は患者に「汚れている」と宣言しなければならない。その人は明らかに汚れているので、検査を続けるために隔離される必要はない。
祭司はその人に、「きよい」と宣言する。全身が白くなっているので治ったのである。
本来、律法は霊的なものであり、問題はむしろ罪ある私にあります。私は、罪という主人に、奴隷として売り渡されているのです。