町の門の近くで、葬式の列にばったり出会いました。死んだのは、夫に先立たれた女の一人息子でした。町の人が大ぜい母親に付き添っています。
「刀を置きなさい。その子に手をかけてはならない。もうわかった。おまえが何よりも神を第一としていることが、よくわかった。最愛の息子でさえ、ささげようとしたのだから。」
「あなたのひとり息子を連れてモリヤへ行きなさい。そう、愛するイサクを連れて行くのだ。そして、わたしが指定する山の上で、完全に焼き尽くすいけにえとしてイサクをささげなさい。」
すると、親類中の者が寄ってたかって、残った息子を引き渡せと申すのです。兄弟を殺したような者は生かしておけないと言います。でも、そんなことになれば跡継ぎが絶えてしまい、夫の名も、この地上から消え去ってしまいます。」
すると彼女は答えました。「あなたの神、主にお誓いして申します。家には一切れのパンもありません。つぼの底に粉がほんの少しと、ほかにわずかばかりの油が残っているだけです。実は、それで最後の食事を作るため、たきぎを集めていたところなのです。それを食べてしまったら、息子と二人、飢えて死ぬのを待つだけです。」
彼女は、「ああ、神の人よ、なんということをしてくださったのですか。あなたは息子を殺して、私の罪を罰するために来られたのですか」と叫びました。
エリヤはその子をかかえて階下に降り、母親に渡しました。「ごらんなさい。息子さんは生き返りました」と言うエリヤの顔は、喜びに輝いていました。
その子は家に連れ戻され、母親のひざに抱かれていましたが、昼ごろに息を引き取りました。
死にかかっている者に救いの手を伸ばすと、 彼らは私を祝福した。 未亡人には、喜びの歌を歌えるようにしてやった。
その日、わたしはエルサレムのすべての民に、恵みと祈りの霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者を見て、まるでひとり息子のためのように嘆き、長男が死んだときのように深く悲しむ。
それからまもなく、イエスは弟子たちといっしょにナインの町へ行かれました。いつものように、あとから大ぜいの人の群れがついて行きます。
痛々しい母親の姿を見てかわいそうに思ったイエスは、「泣かなくてもいいのですよ」と、やさしく声をおかけになりました。
十二歳になる一人娘が、危篤状態だったからです。熱心な頼みに、イエスは人垣をかき分けるようにして、ヤイロの家に向かわれました。
家の中では、みな泣き悲しんでいました。「もう泣くのはやめなさい。娘さんは死んだのではありません。ただ眠っているだけです。」
エルサレムからも大ぜいのユダヤ人たちが弔問に詰めかけていました。マルタとマリヤが慰めのことばを受けているところへ、
ペテロは快く承諾しました。彼がヨッパに着くやいなや、人々は待ちかねたように、遺体が置かれている二階の部屋まで連れて行きました。そこは、生前ドルカスにめんどうを見てもらった婦人たちでいっぱいでした。みな目に涙を浮かべながら、ドルカスに作ってもらった服などを彼に見せるのです。
ペテロは、いたわるように手を取って立たせ、一同を呼び入れました。あっけにとられている人々の前に、ドルカスが立っていたのです。
父なる神の目から見て、純粋で汚れのない信仰とは、みなしごや未亡人が困っていれば世話をし、この世から自分をきよく守ることです。