すると、「なんと罰あたりなことばだ! いったい自分をだれだと思ってるのか。明らかに神への冒瀆だ! 罪を赦すことなど、神にしかできないことなのに」と、パリサイ人や律法の専門家たちは、心の中で強く反発しました。
主は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。
とうとう私は、自分の罪を 神の前にさらけ出さざるをえませんでした。 「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。 すると、あなたは赦してくださいました。 私の罪は跡形もなく消えたのです。
主の使いの起こす風で、 彼らをもみがらのように吹き飛ばしてください。
主はこうも告げます。 「さあ、語り合おう。 おまえたちの罪のしみがどんなに頑固でも、 わたしはそれをきれいにし、 降ったばかりの雪のように真っ白にする。 たとい紅のような真っ赤なしみでも、 羊毛のように白くする。
わたしは自分のために、あなたがたの罪をぬぐい去り、 それを二度と思い出さない。
わたしは、あなたの罪をすっかり消した。 それは、昼になると朝もやが消えてなくなるように、 影も形もなくなった。 さあ、わたしのもとに帰って来なさい。 あなたを自由にする代価は支払いずみだ。」
主よ、お聞きください。どうか赦してください。私の願いをかなえてください。神よ、ご自身のために、それを遅らせないでください。あなたの民とあなたの町とには、御名がつけられているからです。」
しかし、私たちの神、主はあわれみに満ちたお方で、反逆した者をもお赦しになります。
再び、私たちにあわれみをかけてくださいます。 私たちの罪を踏みつけ、海の底に投げ込まれます。
これを聞いた大祭司は、即座に着物を引き裂き、大声で叫びました。「冒瀆だ! 神を汚すことばだ! これだけ聞けば十分だ。さあ、みんなも聞いたとおりだ。
「なんと罰あたりなことばだ! まるで、自分が神だと言っているようなものではないか。」ユダヤ教の指導者のある者は、腹の中が煮えくり返る思いでした。
その前に、悔い改めたことを行いで示しなさい。アブラハムの子孫だから大丈夫などと思ってはいけない。そんなものは何の役にも立たない。神はこの石ころからでも、今すぐアブラハムの子孫をお造りになれるのだ。
ある日、イエスが教えておられると、パリサイ人(特におきてを守ることに熱心なユダヤ教の一派)と律法の専門家たちもそばに座っていました〔ガリラヤやユダヤの村々、またエルサレムから来た人たちです〕。イエスには、病気を治す神の力がありました。
それを見抜いたイエスは、「なぜ、わたしのことばが神を汚すことになるのですか。
その場に同席していた人たちは、心の中でつぶやき始めました。「罪を赦すなんて、いったい自分をだれだと思っているのだろう。」
「なにも良い行いを責めているわけではない。神を汚したからだ。ただの人間のくせに、神だなどとぬかしおって!」
神がご自分のものとして選ばれた私たちを訴えるのはだれですか。神ですか。とんでもない。神は私たちを赦し、義としてくださった方ではありませんか。