二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど私たちの心が燃えていたではないか」と語り合いました。
どうか、この思いが神に喜ばれますように。 私にとって、主は喜びの泉なのです。
鉄が鉄によって研がれるように、 友との熱のこもった議論は、 互いを研ぎ合います。
友に励まされるのは、 香水をつけたように気持ちのよいものです。
神である主は私に、知恵のことばを授けました。 疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。 朝ごとに、主は私を目ざめさせ、 御心への理解を深めさせてくれます。
神のおことばは、私をしっかり支えます。 それは、飢え渇いた私のたましいにとっての食物です。 私の重い心に喜びをもたらし、 楽しみで満たしてくれます。 主よ。私は、神の預言者にされたことを 誇りに思います。
ところが、私は神の使者になることを やめるわけにはいきません。 二度と主のことを口にしないでおこう、 これ以上、神の名によって語るのはやめようと言うと、 私の心のうちにある神のことばは、 まるで火のように骨の中で燃えています。 そのため、苦しくてたまりません。
わたしのことばは、火のように燃えないだろうか。それは、岩でさえ粉々に砕く巨大なハンマーではないか。
たとえを使わずに話をなさることはありませんでした。ただ弟子たちにだけは、その意味を解き明かされました。
イエスが弟子たちの心の目を開いてくださったので、彼らはやっと理解しました。
いいですか。ただ聖霊だけが永遠のいのちを与えてくださいます。肉体的にこの世に生まれただけでは、永遠のいのちはいただけません。今わたしがあなたがたに話したのは、まさにこのことで、どうしたら、ほんとうの霊のいのちをいただけるかということなのです。
彼らはこうして日を決め、さらに大ぜいでパウロの家に来ました。パウロは彼らに神の国のことを語り、またモーセの律法から預言者の書に至るまで、聖書のありとあらゆる箇所を使って、イエスのことを教えました。彼の話は、朝から夕方まで続きました。
神のことばは生きていて、力があります。それは鋭い刃のように切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。