民衆はそばに立ってながめていました。一方、ユダヤ人の指導者たちもイエスをあざけり、「他人ばかり助けて、このざまは何だ。ほんとうに神に選ばれたメシヤなら、自分を救ってみろ!」と言いました。
自分の骨を、一本残らず数えることができるほどです。 私を見てはほくそ笑む、 この悪人どもをごらんください。
ところが、いざ私が困難にぶつかると、 彼らは手を打って喜び、 ひとつになって押しかけて来ては、 絶えず中傷するのです。 中には、私の知らない顔もありました。
主は問われます。 「人の子らよ、こんな空しい偶像を拝んで、 いつまでわたしの栄光をはずかしめるのか。 偶像が神であるはずなどないのに。」
彼らは、神が懲らしめた者を迫害し、 神が切りつけた者の傷を見てあざけったからです。
「神もあいつを見限ったのだ。もうじゃまは入らない。 今度こそ、打ち倒すことができる。」
わたしの支えるしもべ、 わたしの喜びとする選ばれた者に目を留めよ。 わたしは彼に、わたしの霊を与えた。 彼は世界の国々に正義を示す。
イスラエルを救う聖なる方は、 さげすまれている者、のけ者にされている者、 支配者たちに踏みつけられている者に向かって、 こう言います。 「あなたが通ると、王は立ち上がって敬意を表す。 わたしがあなたを選んだので、 首長たちも深々と頭を下げる。 イスラエルの聖なる神であるわたしが、 あなたを選んだのだ。」
私たちは彼をさげすみ、受け入れませんでした。 彼は悲しみの人で、 苦しみをなめ尽くした人でした。 私たちは彼に背を向け、 そばを通っても顔をそらしました。 彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。
同胞は私を笑い者にし、 一日中、下品な歌であざけります。
その日、わたしはエルサレムのすべての民に、恵みと祈りの霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者を見て、まるでひとり息子のためのように嘆き、長男が死んだときのように深く悲しむ。
「わたしのしもべを見よ。 彼こそわたしの選んだ者。 わたしが喜ぶ、わたしの愛する者。 わたしは彼の上にわたしの霊を置き、 彼は国々をさばく。
その時、天から声が聞こえました。「これこそ、わたしの愛する子。わたしは彼を心から喜んでいる。」
何よりもお金に目のないパリサイ人たちは、この話を聞いて、イエスをあざけりました。
ピラトは、祭司長とユダヤ人の指導者たち、それに民衆もみないっしょに呼び出し、
イエスの横で十字架につけられていた犯罪人の一人が、「あんたはメシヤなんだってなあ。だったら、自分とおれたちを救ってもよさそうなもんだ。どうなんだ」とののしりました。
主キリストに近づきなさい。主が土台石となり、神はその上に、神の家をお建てになるのです。人々は主を拒みましたが、神は主を最も重要な存在として選ばれたのです。