わたしの弟子だというので、みながあなたがたを憎むようになるでしょう。
わたしの弟子だというので、あなたがたはすべての人に憎まれます。けれども、最後まで耐え忍ぶ者は救われるのです。
その時、あなたがたは苦しめられ、殺されることもあるでしょう。また、わたしの弟子だというだけで、世界中の人から憎まれるでしょう。
わたしの弟子だというので、悪口を言われたり、迫害されたり、ありもしないことを言いふらされたりしたら、それはすばらしいことなのです。
そしてあなたがたは、わたしの弟子であるというだけで、すべての人に憎まれます。しかし終わりまで、わたしへの信仰を捨てずに耐え忍ぶ者はみな救われます。
最も身近な両親、兄弟、親類、友人までもがあなたがたを裏切るようになるでしょう。中には殺される者もあります。
しかし、あなたがたの髪の毛一本さえ失われることはありません。
わたしの弟子だというので、憎まれたり、追い出されたり、悪口を言われたりするなら、なんと幸いなことでしょう。
あなたがたが世の人と同じであったら、世もあなたがたを愛したでしょう。だが、そうではありません。わたしがあなたがたを選び、世から連れ出したのです。だから、世はあなたがたを憎むのです。
しかし世の人は、わたしの弟子だというだけであなたがたを迫害します。わたしをお遣わしになった神を全く知らないからです。
あなたの命令も伝えました。するとどうでしょう。世の人は彼らを憎んだのです。わたしと同じように、彼らもこの世と調子を合わせようとしないからです。
世間の人に憎まれるはずもありませんから。しかし、わたしは憎まれています。彼らの痛いところを突くからです。
彼には、わたしのために、どんなに苦しむことになるかを告げるつもりです。」
すべてはキリストのためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。
まことに私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストのいのちを明らかに示す機会が与えられているのです。
私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているのです。私たちはただ、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となっただけです。
あなたがたは、ただキリストを信じるだけでなく、キリストのために苦しむという特権をも与えられているのです。
もしクリスチャンであるばかりに、ののしられ、非難されるなら、あなたがたは幸いです。神の御霊がいっしょにいてくださるからです。
あなたはわたしのために、どんな時もじっと耐え、決してくじけませんでした。