それからイエスは、両親といっしょにナザレに帰り、彼らによく仕えました。マリヤは、このことをみな心にとめておきました。
兄たちは彼がねたましくてなりませんでしたが、父親はいったいどういう意味なのかと、あれこれ考えて心に留めておきました。
私はおことばを深く味わい、心にたくわえました。 それによって罪から遠ざかるためです。
夢はそこで終わりました。目を覚ますと、私はひどく動揺し、顔色も恐怖で青ざめていました。夢で見たことは、だれにも話しませんでした。」
イエスが人々のひしめき合う家の中で話しておられた時、母と弟たちがやって来ました。イエスに話したいことがあったからです。
しかしイエスは、「今はそうさせてもらいたい。なすべきことは、すべてしなければならないのです」とお答えになり、ヨハネからバプテスマを受けました。
そのころ、イエスもガリラヤのナザレから来て、人々といっしょに、ヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになりました。
すると、ナザレのイエスがお通りになると言います。
マリヤはこれらのことをすべて心に納めて思い巡らしていました。
モーセの律法どおりにすべてのことをすませると、ヨセフとマリヤはガリラヤのナザレに帰りました。
それからイエスは、少年時代を過ごしたナザレに帰り、いつものように土曜日(安息日)に会堂へ行かれました。聖書を朗読しようと席を立つと、
そこで、イエスは言われました。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カペナウムで行った奇跡を、自分の郷里でもしてくれ』と言うのでしょう。
互いに従順になって、キリストをたたえなさい。
この苦しみは、神が与えてくださった務めでもあるのです。あなたがたのために苦しまれたキリストが見ならうべき模範となられました。この方について行きなさい。