『こうすればいい。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建てる。そうすれば、作物を全部納められる。』
空の鳥を見なさい。食べ物の心配をしていますか。種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。
倉はいっぱいで、収穫物を全部納めきれないほどです。あれこれ考えたあげく、うまい考えを思いつきました。
ひとり満足した金持ちは、われとわが身に言い聞かせたのです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりある。さあ、食べて、飲んで、楽しくやろう。』
いいですか。この地上でいくらため込んでも、天国に財産を持っていない者は、愚か者なのです。」
からすを見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉を持っているわけでもありません。それでもゆうゆうと構えていられるのは、神が養ってくださるからです。神の目には、からすなどより、あなたがたのほうが大切なのです。
裁判官はしばらくの間、相手にしませんでしたが、あまりのしつこさに我慢できなくなり、心の中でこう考えました。『私は神だろうが人間だろうがこわくないが、あの女ときたらうるさくてかなわない。しかたがない。裁判をしてやることにしよう。そうすれば、もうわずらわしい思いをしなくてすむだろう。』」
主は続けて言われました。「このように、悪徳裁判官でさえ音を上げてしまうのなら、
ねたみや敵対心は、神からの知恵ではなく、この世のものであり、真理に逆らう悪霊から来るものです。
よく聞きなさい。「今日か明日、あの町に出かけ、一年かけてひともうけしよう」ともくろむ人たち。
ですから、こう言うべきです。「もし主がお許しくださるなら、私はあのことと、このことをしよう。」