続けてイエスは群衆に言われました。「貪欲にはくれぐれも注意しなさい。どんな金持ちでも、人のいのちは財産とは無関係なのですから。」
シムイはすぐろばに鞍をつけ、アキシュ王に会おうとガテへ向かいました。奴隷は見つかり、エルサレムへ連れ戻されました。
「いのちが助かるためなら、人はどんなことでもするものです。今度は病気にしてみればいい。ヨブはきっと、面と向かってあなたをのろうでしょう。」
彼らは、汚れた欲望を自慢し、 主をののしり、 主に忌みきらわれる者どもと意気投合しています。 彼らにとっては、金銭だけが人生の目的なのです。
不正な手段で金持ちになるより、 わずかな持ち物に甘んじて、 神を敬って過ごすほうがまさっています。
搾取と強奪によって財産を増やしてはいけません。 金持ちだからといって、尊大になってはいけません。
財産があるばかりにあれこれ気を遣うより、 貧しくとも主を信じて生きるほうが幸せです。
知恵は金にまさり、 すぐれた理解力は銀にまさります。
力にものを言わせるのは、愚かな支配者です。 金に動かされない正直な王が、長く国を治めるのです。
彼らは、最も身分の低い者から最も高い者まで、 詐欺師で大うそつきだ。預言者や祭司も同様だ。
彼らはもっともらしい顔をしてやって来る。そして、あなたの前に座って聞くだろう。だが、わたしの言うとおりにする気はさらさらない。口では、いかにも調子よく、わたしを愛しているようなことを言うが、心は金銭欲でいっぱいだ。
その人の財産すべてなのに、 人の土地や家を欲しがり、 詐欺と脅しと暴力でそれを取り上げる。
邪悪な手段で富を得ながら、 危険を逃れて生きようとしているおまえは災いだ。
貪欲、邪悪、あざむき、好色、ねたみ、悪口、高慢、あらゆる愚かさ、それらのものはみな、人の心の中からあふれ出ます。
それからイエスは、たとえ話を一つなさいました。「ある金持ちが、良い作物のとれる肥えた畑を持っていました。
何よりもお金に目のないパリサイ人たちは、この話を聞いて、イエスをあざけりました。
気をつけなさい。わたしは不意に来ます。その時になって、あわてふためかないようにしなさい。遊び騒いだり、酒におぼれたり、この世の心配事のために駆けずり回ったりしている姿を見られないようにしなさい。
いばらの中の種とは、聞いて信じても、その後、いろいろな心配事や金銭欲、また人生のさまざまな重荷や快楽などに、信仰を妨げられてしまう人のことです。これでは、せっかく教えを聞いても、実を結びません。
ですから、罪深い肉欲を捨てなさい。性的な罪、汚れ、情欲、恥ずべき欲望などと縁を切りなさい。この世の富や快楽を慕い求めてはいけません。それは、神でないものを神とする、偶像礼拝だからです。
自分だけを愛し、また、お金がすべてだと考える風潮がはびこります。その時人々は、高慢な者、大言壮語する者、神をあざける者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、神を恐れない者になり、
お金を愛する心を捨て、いま与えられているもので満足しなさい。神は、こう約束しておられます。「わたしはどんな場合にもあなたの期待にそむかず、あなたを見捨てない。」(申命31・6)
ふと見ると、バビロン産の美しい外套と、金の延べ棒と、銀とがあったのです。銀は二百シェケル、金は五十シェケルの値打ちがあると思いました。すると、どうしようもなく欲しくなり、それらを自分の天幕(テント)の下に埋めたのです。銀はいちばん深い所に隠しました。」
彼らのみだらな行為は底なしで、その罪に濁った視線で、うわついた女性を誘惑しています。その貪欲の果てにわが身を滅ぼしてしまう、まさにのろわれた者たちです。
偽教師たちは貪欲で、人のふところをねらうためには、手段を選びません。しかし神は昔から、彼らをきびしく罰してこられました。彼らの滅びは確かです。