心の内面が光で満ちあふれている人は、顔も、光をあてられたように明るく輝きます。」
「賢い人には、 これらの知恵のことばの深い真理をもっと探究し、 より賢くなり、 人々を指導できるようになってほしい。」 それが彼の願いでした。
良心は心の中をはっきり照らして、 隠れた思いを明るみに出す、主の光です。
危険だとわかっていればこそ、 前もって忠告してくれるのです。 だから忠告を聞き、良き人生を送りなさい。
目の見えないイスラエルの手を引いて、 初めての道を通らせ、行く手の暗闇を明るくし、 前方の道をまっすぐ平らにします。 主は決してイスラエルを見捨てません。
神はこのように語ります。「魔術師どものことばを、神のことばと比較してみよ。彼らの言うことは、わたしの言うことと違うが、それは彼らがわたしの使者ではないからだ。彼らには真理の光などない。
ああ、主を知りたい。 さらに主を求めよう。 そうすれば、必ず夜明けが訪れ、 早春の雨期がくるように、必ず答えてくださる。』
そこでイエスは、さらにこう言われました。「ユダヤ人のおきてに通じ、しかも、わたしの弟子でもある人たちは、古くからある聖書の宝と、私が与える新しい宝と、二つの宝を持つことになるのです。」
あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。
ですから、光がおおい隠されないように、よく気をつけなさい。
話が一段落したところで、あるパリサイ人がイエスを食事に招待しました。イエスは誘われるまま彼の家に行き、食卓に着かれました。ところが、その時、イエスはきよめの手洗いをなさいませんでした。この儀式はユダヤでは必ず行う習慣だったので、それを見た家の主人は驚きました。
「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。
そこで、もはや、だれかから間違ったことを教えられたり、うそを真実のようにたくみに見せかけられたりしても、そのたびに、子どものようにふらふらと信じるものを変えてはいけません。
キリストの教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて心から神に向かって賛美しなさい。
あなたがたがもっと成長し、正しい行いが伴って、善悪の区別がつくようになるまでは、堅い霊の食べ物をとることも、神のことばの深い意味を悟ることもむりでしょう。
しかし、〔完全な律法、自由の律法である〕神の教えを一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れたりしないばかりか、その命令を実行します。神は、そのような人の行いに大きな祝福を与えてくださいます。
そして、主であり救い主であるイエス・キリストをさらに深く知って、主の恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、すべての栄光が、今も後も、永遠にいつまでもありますように。アーメン。 ペテロ