その光は、 暗黒と死の陰にうずくまる者たちを照らし、 私たちを平和の道へと導くのだ。」
私が行こうとしているのは、 真夜中のように暗い国です。 渾沌としていて、最も明るい光でさえ、 真夜中の闇のように暗い場所なのです。」
そうだ、暗闇がその日を奪い、 黒雲が覆い隠すがよい。 その日が暦から消し去られ、 その日には何もなかったことになればよい。
みじめな奴隷になり下がり、 暗闇に座り込んでいる人はだれですか。
暗闇から引き上げられ、 奴隷の鎖を断ち切っていただきました。
たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。
主を恐れる人はどこにいますか。 主はその人に、 最善のものを選ぶ秘訣を教えてくださいます。
もしそんな過失があったのなら、荒野で罰せられても、 暗闇と死の中に放り出されても納得がいきます。
わたしはだれをも正しく扱い、えこひいきしない。
目の見えないイスラエルの手を引いて、 初めての道を通らせ、行く手の暗闇を明るくし、 前方の道をまっすぐ平らにします。 主は決してイスラエルを見捨てません。
盲人の目をあけ、暗い牢獄で 希望もなく座り込んでいる人々を解き放す。
あなたを救うイスラエルの聖なる神は、 こう言います。 「わたしはあなたの神、主である。 わたしは、あなたのためを思って罰し、 進むべき道に導く。
しかし、「神に逆らう者に平安はない」と主は言います。
「あなたはイスラエルをわたしに立ち返らせる にとどまらず、国々の光となって、 諸国にまでわたしの救いをもたらす。」
平和がどんなものか、正義や善意がどんなものか 知りません。 いつでも、どんな所でも悪いことをするので、 あなたがたに従う者たちも、平和の味を知りません。
暗がりを歩いていた人たちは大きな光を見ます。 それは、死の陰の地に住んでいた者を照らす光です。
彼らは、自分たちをエジプトから無事に連れ出し、 だれも足を踏み入れたことのない、 乾ききった死の地である荒野を導き通したのが、 主であるわたしであったことに、 目をふさいでいる。
ところが、それでもなお主はあなたがたに訴えます。 「ずっと昔おまえたちが歩いていた、 神を恐れる幸いな道を探し出し、その道を歩きなさい。 そうすれば、たましいに安らぎがくる。 だがおまえたちは、 『いや、その道は通りたくない』と答える。
この方はすべての国を照らす光、 あなたの民イスラエルの光栄です。」
後に、ほんとうの光である方が来て、全世界の人々を照らしてくださったのです。
わたしは、この暗い世に輝く光として来ました。わたしを信じる人がだれも、もはや暗闇の中をさまようことのないためです。
そのあとで、イエスは人々にお話しになりました。「わたしは世の光です。わたしに従って来れば、暗闇でつまずくことはありません。いのちの光が、あなたがたの進む道を明るく照らすからです。」
しかし、まだこの世にわたしがいる間は、わたしが光となります。」
イスラエル人に伝えられた神のみことばについては、すでにお聞きでしょう。全人類の主である救い主イエスによって、私たちが神と和解できるということです。この教えは、バプテスマのヨハネが語り始め、ガリラヤからユダヤ全土に広まりました。
人々の目を開き、自分のほんとうの姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗闇から出て、神の光の中に生きるようにするために。わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神の相続財産を受けるようになる。』
彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、 神の祝福を味わったこともない。」(イザヤ59・7-8)
あなたがたの心は以前は暗闇におおわれていましたが、今は主にあって光にあふれています。そのことを態度で示しなさい。