神と正面から議論しようと思ったら、 人は千の質問のうち、一つも答えることはできまい。
神にこう言おう。 むやみやたらと責めるだけでなく、 なぜそうするのか、わけを聞かせてください。
このことで私と議論できる者がいるか。 もし、あなたたちが私の間違いを証明できるなら、 私は自分の弁護をやめ、いさぎよく死んでみせる。
神が自分のすることを、 あなたにいちいち説明しないからといって、 なぜ神に文句を言うのか。
だから、人を神の法廷に引き立てるには、 何か大きな罪を犯すのを待つまでもない。
「おまえはまだ全能者と口論したいか。 それとも降参するか。 神を批判する者よ、答えてみよ。」
私は語りすぎました。」
私には、全能の神を相手どって議論し、 説き伏せることなどできない。
しかし、私は正しいだろうか。 そうでないことは自分がよく知っている。 たとえ一点の非の打ちどころもないとしても、 神は私を悪い者とする。
しかし人は、心にひそむ罪を どうして知ることができましょう。 どうか、隠れた罪からきよめてください。
それがなければ、私は滅んでしまいます。 とても手に負えない問題が、山積みなのですから。 そのうえ、数えきれない罪に責め立てられ、 恥じ入るばかりで顔を上げることもできません。 身も心も縮み上がる思いです。
そんなことを言ってはなりません。神を非難するあなたは、いったい何者なのですか。造られた者が造った者に、「なぜ私をこのように造ったのですか」などと言ってよいでしょうか。
もし自分には罪がないと言うなら、それは、自分のほんとうの姿から目をそらしているのであって、真理を受け入れようとしない証拠です。
たとえ心に責められることがあってもです。