私は語りすぎました。」
イスラエルの王は、エリシャの言うことがほんとうかどうか確かめようと偵察を出したところ、やはり、そのとおりでした。こうして、エリシャはイスラエルを救いましたが、このようなことが何度もあったのです。
神は何度でもお語りになる。
たとい私が正しくても、自分を弁護しない。 ただただ、あわれみを求めるだけだ。
神と正面から議論しようと思ったら、 人は千の質問のうち、一つも答えることはできまい。
そういうわけで、律法がユダヤ人に重くのしかかっています。なぜなら、彼らは律法を守る責任があるのに守らず、こうした悪にふけっているからです。彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、罪の宣告を受けているのです。