全能者の力を推し量ることはできない。 しかし、神はこの上なく正しく、 思いやりにあふれているので、私たちを滅ぼさない。
あなたは神の思いと目的を知っているのか。 どんなに時間をかけて調べたところで、わかるまい。 全能者をさばく資格なんかないのだから。
神は、天が地よりも高いように、 想像もできないほどきよい方だ。 神の思いは底知れず深い。 それに比べ、あなたの知識はどれほどだというのか。
だが、本物の知恵と力は神だけのものだ。 ただ神だけが、私たちのなすべきことをご存じだ。 何といっても、神には思慮がある。
「神は力のある、恐るべきお方だ。 神は天で平和をつくる。
こんなことは神にすればほんの小さなことで、 御力がかすかにささやいただけにすぎない。 まして、神が大声を出したとしたら、 だれがそれに耐えられるだろう。」
神はあまりにも大きいので、 神を知る手がかりさえつかめない。 永遠というものを理解できる者はだれもいない。
私を造った方の正しさを説明するために、 例話を引き合いに出そう。
神は全能だが、だれをもさげすまない。 それに、神の理解力は完璧だ。
自分には豊富な知識があると考える人がいたら、 神に近づく方法を教えてもらいたい。 私たちはあまりにも鈍く、 何もわかっていないからだ。 はて、そんな知識で神に近づけるだろうか。 生きたままのみ込まれてもよいというのか。
天の切れ間から差し込む、 目のくらむような輝きを放つ 神の威厳を見つめることは不可能だ。
神が正義を曲げるだろうか。
強くて正しいのは、この世に神だけではないか。
神の知恵と力は底知れないのだ。 今まで、神に反抗して 成功した者など、いないのだから。
声の限り、偉大な主をたたえましょう。 神の偉大さは、一生かけても 窮めることができません。
主の怒りはつかの間ですが、 その恵みは生きる限り続きます。 たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、 朝には喜びが訪れます。
愛と恵みに満ちた主は、 一人一人のしわざに報われるのです。
神は底知れない力で山々をお造りになりました。
ああ神よ。 あなたのなさることの荘厳さに心打たれます。 そのお力の壮大さに圧倒されます。 敵が降伏するのも、もっともです。
世界の王、主は、 威光と権能をまとっておられます。 ああ神よ。 永遠の昔から、あなたは世界を支配しておられます。
公正なさばきを行うこと、 それこそが、この絶大な王の統治の基です。 イスラエル中に正しい判決が下ります。
あらゆることには、ふさわしい時というものがあります。また神は、人間の心に永遠を思う思いを与えました。しかし、人は神の働きの全体を見ることができないのです。
知恵は遠いかなたにあって、探し出すのはきわめて困難です。
額を寄せて相談し、偶像礼拝にどんなご利益があるか、 証拠を出してみるがいい。 ほんとうの神以外にだれが、 クロスはこんなことをすると言ったか。 どこの偶像が、そんなことを知らせたか。 わたしのほかに、ほんとうの神はいない。
彼らが苦しむとき、神はいつもいっしょに苦しみ、 彼らを救い出しました。 神は、ご自分の愛によって彼らを買い戻し、 彼らを高く掲げ、これまでずっと彼らを導きました。
主はこう尋ねます。「わたしが、悪者の死ぬのを見たがっているとでも思うのか。わたしは、彼が悪の道から離れ、正しく生きるようになることしか願っていない。
わたしは、あなたがたが死ぬことを喜ばない。悔い改めなさい。悔い改めて、生きるのだ。」神である主がこう語るのです。
彼らに告げなさい。神である主がこう語る、と。わたしは生きている。わたしは悪者どもの死を喜ばない。それどころか、悪者が悪の道から悔い改めて生きるようになることを願っている。さあ帰って来なさい。悪の道から離れ、立ち返るのだ。ああ、イスラエルよ。なぜ、そんなにも死にたがるのか。
私たちを誘惑に会わせないように守り、 悪から救い出してください。アーメン。』
すべてのことで、わたしはあなたに任せられた役割を務めます。あなただけが子であるわたしの、ほんとうの姿をご存じですし、あなたのことをほんとうに知っているのは、子のわたしと、あなたを知らせようとわたしが選んだ者たちだけなのです。」
ああ、なんとすばらしい神を、私たちは信じていることでしょう。その知恵と知識と富は、なんと豊かなことでしょう。神のなされる方法を理解することなど、とうていできません。
死ぬことのない、ただひとりの方であり、だれも近づくことのできない、まばゆい光の中に住んでおられます。人はだれも神を見たことはありませんし、これからも決して見ることはできません。どうか、このまことの神に、誉れと永遠の権威と支配とが、いつまでもありますように。アーメン。
肉親の父親は、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて私たちを訓練します。ところが神は、私たちの最善を願って、神のきよさを共有させようと訓練をしてくださるのです。