ヨブさんがこう言ったからだ。 『私は潔白なのに、神はそうでないと言い、
神の目から見ても、自分は純粋だとあなたは言う。
私は自分が正しいことはわかっている。 これが私の言い分だ。
だが、だれが何と言おうと、 私は潔白で、私の祈りは純粋だ。
必死に助けを求めても、だれも相手にしてくれない。 声を限りに叫んでも、人間扱いさえしてもらえない。
「私の権利を奪い取った神よ、 私のたましいを苦しめた全能者を指して誓う。
私のすることはみな正しく、うそ偽りがなかった。 正義こそ、私の衣だったのだ。
三人の友人は、それ以上ヨブに答えるのをやめました。ヨブが、自分は潔白だと言い張って一歩も譲らなかったからです。
『私は潔白だ。罪など犯していない』と。
正しいことには従うという選択をするべきだ。 しかし、まず始めに、 正しいとはどういうことか定義する必要がある。
勝手に私に罪があると考えるのはやめてくれ。 私は潔白なのだ。 どうか正しい判断をしてほしい。
神が正義を曲げるだろうか。
神は、これほどまで私を打ちのめし、 理由もないのに傷口を広げるからだ。
ああ、ヤコブよ。イスラエルよ。 主は苦しみを見て見ぬふりをしているから 不公平だと、どうして言えるのですか。