神の御霊が私を造り、 全能者の息が私にいのちを与えるからだ。
やがて、主なる神が人を造る時がきました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。
いのちを与え、恵みと愛を注いでくださいました。 あなたのいつくしみがあったからこそ、 私は今日まで生き長らえたのです。
私を造ったのはあなたです。 その私をしいたげ、さげすみ、 一方では悪人にいい目を見させることは、 はたして正しいことでしょうか。
すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、 共に神の御手のうちにあるからだ。
生きている限り、神が下さる息のある間は、
しかし、年をとれば自然に賢くなるというものでもないことがわかった。 人を聡明にするのは、人のうちにある神の霊だ。
あなたが御霊を送られると、 新しいいのちが誕生します。
あの星をちりばめた天空も、 主のおことばひとつで造られました。
天を造ってそれを引き伸ばし、 地と地上のすべてのものを造り、 すべての人間にいのちと霊とを授けた、神である主が、 ご自分のしもべであるメシヤ(救い主)に、 こう語ります。
なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
聖書には、「最初の人アダムは、生きたものとなった」(創世2・7)と書いてありますが、キリストは、いのちを与える方となられたのです。