神の怒りの前には、富も役に立たない。 ただ踏みにじられてなくなるばかりだ。
『この宮殿にある物が、一つ残らずバビロンに運ばれる時がくる。先祖の宝物はすべて持ち去られ、何も残らない。
子どもたちは貧しい人に物乞いし、 やっとの思いで負債を埋め合わせる。
たらふく食べた利得も吐き出さなければならない。 彼が食べた物を消化するのを神はお許しにならない。
悪者はたいてい災いの日に命拾いし、逃げのびる、 と答えるに決まっているから。 だれも面と向かって彼を責めず、報復もしない。 そればかりか、兵士が彼の墓を見張ってくれる。
何もかも焼き尽くす地獄の火だ。 それは、私の植えたものをみな根こそぎにする。
せっかく上げた収穫も人手に渡り、 その富は、ほかの人の渇きをいやす。
財産さえあれば大丈夫と高をくくってはいけません。 さばきの日には、 正しく生きる人だけが救われるのです。
あなたがたの金銀も、主の怒りの日には役に立たない。 そんなもので自分の身代金を払うことはできない。 神のねたみの炎が、全地をなめ尽くすからだ。 神はユダの民すべてをたちまちのうちに取り除く。
たとえ、全世界を自分のものにしても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。
自分の牛が目の前で殺されても、その肉の一片さえもらえません。目の前でろばが連れ去られても、黙って見ているだけで、取り返すことはできません。羊がみな敵に奪われても、だれも守ってくれません。