生まれつき汚れている者に どうしてきよさを求めることができましょう。
アダム――百三十歳で、自分によく似た息子セツが生まれる。彼はセツの誕生後さらに八百年生き、息子と娘に恵まれ、九百三十歳で死んだ。
あなたの言うような純粋で完全な人間が、 この地上にいるだろうか。
私は生まれながらの罪人です。 母が私をみごもった時から、罪人でした。
汚れをきよめる血を振り注いでください。 再び身も心もきれいになれるように、 私を洗ってください。 そうすれば、雪よりも白くなるでしょう。
私たちは、流れの速い潮に乗って見る間に過ぎ去り、 一夜の夢のように、あわただしく消えていきます。 朝のうちは青々と生い茂っていても、 夕暮れには刈られてしおれる草のようです。
「心を入れ替えたから、もう潔白だ」と、 だれが言えるでしょう。
「聖霊があなたに下り、神の力があなたをおおうのです。ですから、生まれてくる子どもは聖なる者、神の子と呼ばれます。
人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。
アダムが罪を犯した時、罪が世界に入り込みました。アダムの罪によって死が全人類に広まり、すべての人は死ぬように定められました。それというのも、すべての人が罪を犯したからです。
私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。