このことで私と議論できる者がいるか。 もし、あなたたちが私の間違いを証明できるなら、 私は自分の弁護をやめ、いさぎよく死んでみせる。
あなたは私を造っておきながら 今になって滅ぼそうとなさいます。
余計な口出しはしないで、ほっておいてくれ。 私に話させてくれ。 結果がどうなろうと、私が責任をとる。
ああ神よ、お願いです。 二つのことだけはしないでください。 そうすれば、私は神と顔を合わせることができます。
何もかもお見通しだと思っているようだが、 それなら、私の落度を証明してみるがよい。
これまでのところで何か言い分があるなら、 遠慮しないで言ってほしい。 私はあなたの正しさを認めたいと思っているのだから、 喜んで聞く。
頼むから、私の苦しみをわかってほしい。 悩み苦しんでいる私に、気がすむまで語らせてほしい。
なぜ私の罪を赦し、除いてくださらないのですか。 私は今にも息絶える身ではありませんか。 神が捜しても、私はどこにもいなくなるのです。」
神と正面から議論しようと思ったら、 人は千の質問のうち、一つも答えることはできまい。
見なさい。神が味方である以上、 だれも、私を罪に定めることはできません。 敵はみな、虫に食われた古着のように、 ぼろぼろになります。
ところが、私は神の使者になることを やめるわけにはいきません。 二度と主のことを口にしないでおこう、 これ以上、神の名によって語るのはやめようと言うと、 私の心のうちにある神のことばは、 まるで火のように骨の中で燃えています。 そのため、苦しくてたまりません。
神がご自分のものとして選ばれた私たちを訴えるのはだれですか。神ですか。とんでもない。神は私たちを赦し、義としてくださった方ではありませんか。