すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、 共に神の御手のうちにあるからだ。
やがて、主なる神が人を造る時がきました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。
よく聞くのだ。わたしは世界に洪水を起こし、すべての生き物を滅ぼす。いのちの息のあるものは、みな死に絶える。
生きている限り、神が下さる息のある間は、
神を信じない者には、神にいのちを断たれるとき、 何の望みがあるというのか。
神の御霊が私を造り、 全能者の息が私にいのちを与えるからだ。
もし、あなたのそのような配慮がなければ、 彼らは途方にくれ、飢え死にするしかありません。
あなたが御霊を送られると、 新しいいのちが誕生します。
私は注意深く、次のことも探求してみました。神を敬う人も知恵のある人も神の計画の中にありますが、神がその人のことを喜んでいるかどうかは、だれにもわかりません。確かなことは何も言えないのです。
天を造ってそれを引き伸ばし、 地と地上のすべてのものを造り、 すべての人間にいのちと霊とを授けた、神である主が、 ご自分のしもべであるメシヤ(救い主)に、 こう語ります。
いつまでもあなたと戦い、 怒りをぶつけるわけではない。 そんなことをしていたら、 わたしが造った全人類は死に絶えてしまう。
それどころか、天の主に逆らい、主の神殿の杯をここに持って来させました。王も、高官たちも、王妃やそばめたちも、その杯でぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石でできた、見ることも聞くことも、悟ることもできない神々をほめたたえました。こうして、王にいのちの息を与え、王の人生を手中に握っている神をほめたたえなかったのです。
しかし、モーセとアロンは主の前にひれ伏して願いました。「ああ、神様。世界にただおひとりの神様。たった一人の罪のために、すべての人を罰するのですか。」
人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。
また人は、この方の必要を満たすこともできません。第一、この方には、必要なものなど何もありません。かえって、すべての人にいのちを与え、必要なものは何でも、十分に与えてくださるのです。
私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。あなたがたの詩人の一人が、『私たちは、神の子孫だ』と言ったとおりです。