ウツの国にヨブという人が住んでいました。ヨブは人格者で、神を敬い、悪から遠ざかって生活していました。
アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。
アブラムが九十九歳になった時、主が彼に現れました。「わたしは全能の神である。わたしの命令に従って正しく生きなさい。
「刀を置きなさい。その子に手をかけてはならない。もうわかった。おまえが何よりも神を第一としていることが、よくわかった。最愛の息子でさえ、ささげようとしたのだから。」
ディシャンの子は、ウツ、アラン。
三日目にヨセフは彼らに言いました。「私は神様を恐れる人間だ。もしおまえたちが潔白なら、それを証明する機会を与えよう。
そのころ地上に生きていた人間の中で、ただ一人ほんとうに正しい人がノアでした。彼はいつも、神のお心にかなうように生きようと心がけていたのです。彼にはセム、ハム、ヤペテという三人の息子がいました。
「ああ主よ。どうか、私がいつもあなたにお従いし、何につけてもあなたをお喜ばせしようとしてきたことを思い出してください。」こう言って、彼は泣き伏しました。
セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム、ウツ、フル、ゲテル、メシェク。
エツェルの子はビルハン、ザアワン、ヤアカン。 ディシャンの子はウツとアラン。
「わたしのしもべヨブを知っているか。彼は世界で一番の人格者で、神を敬い、一点の非の打ちどころもない人物だ。」
「そうか。おまえは、わたしのしもべヨブの態度を見たか。ヨブは世界で一番の人格者だ。神を敬い、いっさいの悪から遠ざかっている。おまえは、わたしをそそのかして、理由もないのに彼に危害を加えた。ところが、あの信仰深さはどうだろう。」
神は全人類に言う。 『主を恐れることがほんとうの知恵、 悪を捨てることがほんとうの悟りだ。』」
そんなときこそ、神を信頼するべきではないのか。 神は正しい人に目をかけてくださることが、 信じられないというのか。
自分が完全に潔白な人間であるかどうか 私は考えようとも思わない。 つくづく自分がいやになった。
そして、全員の中から有能な、神を敬う、わいろなど取らない正直な人物を探し、問題の処理に当たらせたらどうだ。千人につき一人そういう指導者を選び、その下に十人の責任者を置く。それぞれが百人の面倒を見る。さらにその下に、五十人の問題を処理する者を二人ずつ置き、その二人がまた、十人の相談相手になる者を五人ずつ受け持つ。
賢い人は用心深く危険を避け、 愚か者は自信満々につき進みます。
正しいこととは主をたたえること、 罪を犯すことは主をさげすむことです。
神を恐れる人は悪を行いません。 その道を歩む者は安全です。
思いやりと真心があれば罪は除かれ、 主を恐れる気持ちがあれば悪に手を染めません。
子どもにとって一番の遺産は、 正直に生きることを教わることです。
自分の知恵を過信してはいけません。 むしろ主に信頼して、 悪の道から離れなさい。 心も体もみずみずしく元気がみなぎります。
主をないがしろにしないで尊ぶ人は、 悪いことがきらいです。 知恵のある人はみな、 傲慢や腐敗やごまかしをきらいます。
ウツの地に住むエドムの人たちよ。 喜んでいるのですか。 しかしあなたがたも今に、 主の恐ろしい怒りを感じるようになります。
たとえノアやダニエルやヨブが、今ここにいたとしても、本人だけがその思いや行いの正しさによって救われるだけだ。だれも、ほかの者を助けることはできない。わたしはイスラエルの残りの者を滅ぼす。」このように主は言います。
この夫婦は神を愛し、神のおきてを忠実に守り、心から従っていました。
だからあなたがたは、主の前に正しく歩みなさい。
彼らは地上で非常な苦しみに会いましたが、最後まで忠実に主に従いました。私たちは、そのように忍耐した人たちを、祝福された人と考えています。ヨブは、苦難の中で主を信じ続けた模範です。私たちは、ヨブの生き方から、主のご計画の結末には必ず祝福が伴うことを知ったのです。主は、恵みとあわれみにあふれたお方です。
悪から遠ざかって、善を行いなさい。平和を追い求めて手に入れなさい。