わたしは愛する者を絶えず訓練し、しかったり、懲らしめたりします。ですから、もし神に対して熱い心を持たなければ、わたしの罰を受けることになります。
わたしが父となり、彼が息子となる。もし彼が罪を犯せば、外国人を用いて罰する。
神に誤りを正してもらえる人は、 なんと幸せなことか。 神の懲らしめをないがしろにしてはいけない。 自分で罪を犯し、招いた結果なのだから。
ひとたびあなたから罪を罰せられれば、 だれでも倒れてしまいます。 人は、虫に食われた衣類のようにもろく、 霧のようにはかないものですから。
主よ、お願いです。 御怒りのままに私を罰しないでください。
神のことを熱心に思うあまり、 心は焼け尽きそうです。 私があなたを弁護したため、 敵は、あなたに対してするように、 私に侮辱のことばを投げつけてきます。
世界をおさばきになる方が、 どうしておまえたちの罪を見過ごしになさるだろうか。 いっさいのことをお見通しの神に、 おまえたちの悪事がばれないはずはないのだ。
若者は反抗心でいっぱいですが、 正しく罰すれば素直になります。
神よ、彼らは苦しいときに神を求めました。 神の罰が下った時、絶え入るような声で祈りました。
どうか私を、正しい道に導いてください。 怒りにまかせて、つらく当たらないでください。 そうでないと、私は死んでしまいます。
おまえたちの子らを懲らしめたが、むだだった。 彼らは、いっこうに従おうとしない。 おまえたち自身も、ライオンが獲物を殺すように、 わたしの預言者たちを殺した。
わたしがそばについていて救うからだ。 わたしはおまえの寄留先の国々を 全滅させることがあっても、 おまえを根絶やしにすることはしない。 もちろん、おまえが完全に罰を免れる というわけではないが。
私はエフライムのうめき声を聞きました。」 「神は私をひどく罰しました。 子牛がくびきを負う訓練をさせられるように、 私にも懲らしめが必要だったのです。 私を神のもとに立ち返らせ、 元どおりにしてください。 神よ。ただあなただけが主だからです。
彼らに言ってやるのだ。おまえたちは、神である主に従うことを拒み、教えられることを拒む民だ。ひどい偽りの生活を続けている。
おごり高ぶって、神の声にさえ耳を貸そうとしない。 だれもこの町と話ができない。 あらゆる懲らしめを拒んでいるからだ。 主に信頼せず、神を求めようとしない。
娘たちは飛び起きると、めいめい自分のランプを整えました。その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。
そのとき弟子たちは、「神の家を思う熱心が、わたしを焼き尽くす」(詩篇69・9)という、聖書の預言を思い出したのです。
決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。
けれども、私たちが主にさばかれ、懲らしめられるのは、この世の人々といっしょにさばかれないためです。
この世から無視されても、私たちは神に認められています。死に直面しながらも、このとおり生きています。傷つけられたこともありますが、死を免れてきました。
考えてもごらんなさい。主が与えられたこの悲しみは、どんなに益となったことでしょう。あなたがたはそこで絶望せず、かえって、私が手紙で指摘した罪を取り除こうと、誠意をもって努力しました。あんな出来事が起こったことに恐れをいだき、私の来訪と助けとを心から願うようになりました。正面からこの問題に取り組み、罪を犯した者を処罰して、問題を解決しました。実際、事態を正しく処理するために、あなたがたはできる限りのことをしたのです。
正しい動機と真実な心から親切にするなら、何も文句はありません。私がその場にいる時だけでなく、いない時にも、そんな態度を示してくれるなら、なおさらすばらしいことですから。
主があなたがたを懲らしめるのは、ちょうど親が子どものためを思って懲らしめるのと同じなのです。
キリストは、私たちの罪のためにご自分をささげ、神のさばきを受けて死んでくださいました。それは、罪のどろ沼にはまり込んでいた私たちを助け出してご自分の民とし、心のきよい、熱心な、善意の人と変えてくださるためでした。
誘惑に負けて悪に走らない人は幸いです。なぜなら、神を愛する人に約束されたいのちの冠を、ほうびとしていただけるからです。
どうしてそうなったのか胸に手を当てて考え、初めの愛に立ち返って、以前のように励みなさい。さもないと、わたしは行って、あなたの燭台(教会)を諸教会の中から取り除きます。