あなたはわたしのために、どんな時もじっと耐え、決してくじけませんでした。
すべてを主にゆだねて、安心しなさい。 神が立ち上がるまで、忍耐して待つのです。 悪者どもの繁栄ぶりをねたんではいけません。
私はあなたのためにのろわれ、 辱められているからです。
主から罰を受けている間、私はじっと耐えていよう。 私が主に罪を犯したからだ。 そののち、私を敵の手から守り、 彼らが私にしたすべての悪を罰する。 神は私を暗闇から光の中へ連れ出し、 私は神のいつくしみを見る。
途中、ちょうど田舎から来合わせていたクレネ人のシモンという男に、むりやりイエスの十字架を背負わせました〔シモンは、アレキサンデルとルポスの父〕。
また、自分の十字架を負い、わたしに従って来なければ、わたしの弟子になることはできせん。
ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。
忍耐して忍び通せば、いのちを得るのです。
「でも先生。私たちは夜通し一生懸命働きましたが、雑魚一匹とれなかったのです。でも、せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」
良い土壌とは、素直で正直な心の人を表します。こういう人は、神のことばを聞くと、それをしっかり守り、実を結びます。」
しかし世の人は、わたしの弟子だというだけであなたがたを迫害します。わたしをお遣わしになった神を全く知らないからです。
あなたがたのために神が計画しておられることすべてを喜びなさい。困難に耐え、常に祈りなさい。
主のために働いているツルパナとツルポサによろしく。また、主のために大変な苦労をした愛するペルシスによろしく。
神の喜ばれることを忍耐強く行い、目には見えなくても、神が与えようとしておられる栄光と栄誉と永遠のいのちとを求める人には、それが与えられるのです。
しかし、まだ起こっていないことを待たなければならないのなら、忍耐をもって、確信して待ち望むのです。
愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。
どうか、彼らの指示には従ってください。また、彼ら同様、あなたがたのために真心から献身的に働いている人たちを、できる限り助けてください。
ほかの人の業績を、自分のものだと主張しているのでもありません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、私たちに許された範囲であっても、あなたがたの間で私たちの働きがもっと広がることを望んでいるのです。
彼らはキリストに仕えていると言うのですか。しかし、私はもっと仕えてきました。こんなに自慢をする私は、気でもおかしいのでしょうか。 私の労苦は彼らの比ではありません。投獄されたこともかなりの回数に及び、むち打たれたことは数えきれず、何度も死に直面しました。
福音を伝えるという、このすばらしい務めに私たちを任命してくださったのは、神ご自身です。それはあわれみによるのです。ですから、私たちは決して落胆しません。
ですから、私たちは決して落胆しません。肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなっていきます。
そういうわけで、地上でこの肉体のままでいようと、肉体を離れて主と共に天にいようと、私たちの目的は、いつも主に喜ばれることです。
むちで打たれたことも、投獄されたことも、怒り狂う暴徒に取り囲まれたこともありました。ある時は力尽きるまで働き、ある時は一睡もせずに夜を明かし、また食べる物のない日もありました。
互いの悩み、苦しみを共に負い、キリストの命令に従いなさい。
正しい行いをすることに疲れ果ててしまわないようにしましょう。失望せず、あきらめずにいれば、やがて祝福を刈り取る日が来るからです。
私の真実の協力者である皆さん。あなたがたにもお願いします。彼女たちを助けてやってください。福音を宣べ伝えるために、私と手を組んで働いてくれた人たちだからです。それに彼女たちは、いのちの書に名前が記されているクレメンスやほかの協力者たちとともに、力を合わせて働いてくれたのです。
また、こうも祈っています。あなたがたが神の栄光ある力に満たされて、どんなことが起ころうとも前進し、いつも、主の喜びにあふれていることができますように。
そしていつも忘れずに、あなたがたの愛の労苦と信仰、それに主イエス・キリストを熱心に待ち望む姿を、父なる神の御前に思い起こしています。
愛する皆さん。私たちが、生活費のために、どれほど苦労して働いたか覚えているでしょう。そちらにいた時も、夜昼休みなく、汗水流して働きました。それは、神の福音を伝えるにあたって、だれにも経済的な負担をかけたくないと思ったからでした。
皆さん。あなたがたの間で一生懸命働き、何かまちがいがあれば親身になって忠告してくれる人たちを尊敬しなさい。
それから、あなたがたには、いつでも正しい行いをしてほしいものです。
どうか、主の導きによって、神の愛とキリストの忍耐とを、あなたがたがますます深く理解しますように。
私たちは、だれからも、ただでパンをもらいませんでした。だれにも負担をかけたくなかったので、必要な物は、昼夜働いて得た収入で手に入れました。
この真理を人々が信じるように、私たちは多くの苦しみに会いながらも一心に励んできました。それは私たちが、生ける神に希望を託しているからです。神はすべての人のために、特にその救いを受け入れた人たちのために、死んで復活されたお方なのです。
与えられた仕事を忠実に果たしている牧師〔または長老〕は、それに見合う十分な報酬を受け、尊敬されるべきです。説教と教育の両方にあたっている場合は、特にそうでなければなりません。
神の約束されたものをいただきたいと願うなら、忍耐しなければなりません。
このように、数えきれないほどの多くの証人たちが、競技場の観覧席で私たちを見つめているのです。だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪をふり捨てて、神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。
だから私たちは、町の外に出て〔この世の人たちの関心事から離れ、人々からさげすまれることも覚悟して〕、キリストのはずかしめを身に受け、共に苦しむために、この方のもとに行こうではありませんか。
神は、決して不公平な方ではありません。あなたがたが神のために熱心に働いてきたことや、同胞にずっと援助の手を差し伸べてきた愛をお忘れにはなっていません。
最後まで希望を持ち続けるなら、信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりすることはありません。信仰と忍耐によって、神の約束なさったものを受け継ぐ人たちにならう者となってください。
そこでアブラハムは、その約束を忍耐して待ち望み、ついに約束のものを手にしました。
また、自制心を持ち、忍耐と敬虔を身につけなさい。
この手紙を書いているのはあなたがたの兄弟ヨハネで、私もまた、あなたがたと共に主のために苦しみ、忍耐を共にし、教えられ、そして、御国に入る権利をいただいている者です。 私は、神のことばを宣べ伝え、また、イエス・キリストがなさったことを告げ知らせたために、パトモス島に流されています。
あなたは迫害にもめげず、じっと忍耐して、わたしの教えに従ってきました。それで、すべての人間を試すために全世界に襲いかかる苦しみと試練の時に、わたしはあなたを守ります。